A tale of Erebor

□一章、ネルファンディアの決意
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黄金、黄金、見渡す限り黄金。ネルファンディアは悪しきスロールの間に再び戻っていた。というのも、新王トーリン・オーケンシールドを呼ぶためなのである。
────どうしてよりにもよってここなのよ………トーリン……
彼女が階下に降りると、すぐにトーリンはその気配に気がついた。
「トーリン、ビルボたちが呼んで………」
しかし、その目はどこか虚ろな気がした。彼はゆっくりと近づくと、ネルファンディアの手をとった。
「来たか、我が麗しき姫君よ。……いや、王妃と言うべきか?」
「トーリン、一体どうしたの?」
「好きなものを取っていくといい。お前に似合うやつをな」
「トーリン。」
彼はネルファンディアの声には耳も傾けず、そのまま足元の宝石を物色し始めた。美しいものを手に取るごとに、彼は彼女の顔と照らし合わせて似合うかどうかを選別した。その姿があまりにもおぞましく、醜悪な生き物のように見えたネルファンディアは、トーリンの手を掴んだ。
「トーリン、やめて」
「何故だ。私からのささやかな贈り物も受け取れぬか?」
「違うわ、そういう意味ではなくて……」
すると突然彼の表情が険しくなった。わずかに怒りに燃えているのが感じ取れた。
「王の贈り物を断るとは、無礼者なことだ。」
だがすぐに彼は持っていた赤色の首飾りを床(というよりは金貨の上)へ無造作に放り投げると、振り返って先程とは打って変わった笑顔を見せた。
「だが、そなたは特別だ。望みを聞こう。欲しいものを言え。なんでも与えてやろうぞ」
ネルファンディアはトーリンの頬を撫でると、今にも泣き出しそうな目で彼に乞うた。
「……トーリン、私はあなただけでいいの。だから何も要らないわ」
「そうか。5000年も生きていたら、大抵の美しいものは見飽きたか」
「違うわ!どうしてそんな方向に物事を捉えてしまうの?」
彼は冗談かそうでないのかの境も分からないような口調でネルファンディアをあしらった。慌てて彼女は否定した。傲慢になったとはいえ、愛している人に勘違いされては困るからだ。だが、トーリンは不意に元の表情に戻ると、ネルファンディアの頭を優しく撫でた。
「冗談だ。そなたが欲深くないことくらい承知だ。………上へ戻ろう。それから、玉座の横で色々と話を聞かせてくれ」
「今日はあなたの番よ、トーリン」
「私の話が聞きたいのか?面白くもないぞ」
二人は笑いながら上へ上がると、そのまま何時間も語り合った。

ネルファンディアは壮麗な景色を見渡せるバルコニーへ出ると、懐からため息をつきながら手紙を取り出した。それは彼女の父からのもので、彼の下僕である鳥───クレバインが彼女のもとへ寄越してきたものだった。
手紙の内容はざっと言うと、早く帰ってこいというものだった。
『この手紙はスランドゥイルの館から送り付けておる。エレボールを奪還した話は既に聞きつけた故、早く帰ってこい。私が竜の病の話を知らぬと思うたら大間違いぞ。
父より』
まさか、あの父親がトーリンの異変のことを早くも嗅ぎつけているとは驚きだった。返事を出さねばならないことは分かっていたが、なんと返事をすればいいのかが彼女には解らなかった。
────今もし、私がエレボールを去れば、誰がトーリンが暴走した時に止められるのだろう?それに………
先程の冷淡で、粗暴な態度は理解出来なかったが、ネルファンディアの心の中からトーリンを想う気持ちまでも消えたわけではなかった。
結局その日は返事を書くことは出来なかったネルファンディアだった。
その様子を見ていたバーリンは、早朝に彼女を見つけると何となく近づいてきた振りをして、相談を持ちかけた。
「…………最近のトーリンを、どう思われますか?」
「…………はっきり言うと、理解できないわ。ねぇ、バーリン。トーリンはどうなってしまうの?私の知っている彼は本当に消えてしまうの?」
彼は分からないというように首を横に振った。
事実、トーリンの最近の奇行はドワーリンやバーリンたちですら恐ろしく感じる程にまで達している。アーケン石を途方もない財宝の山の中から探せと命じておきながら、みつからなければ盗人がいると疑う始末だ。しかもそれは酷くなるばかりで、もはや説得できる人物もネルファンディアのみとなってしまっていた。しかし、このままでは愛し合う二人の間に取り返しのつかない溝が出来てしまうと気づいていたバーリンは、留まって欲しいという願いとは裏腹にネルファンディアに帰郷を促した。
「………それでなのですが。───アイゼンガルドの父君のもとへ、戻られてはいかがですか?お手紙も届いているのでしょう?」
「ええ、そうだけれど。でも、私はトーリンから何があっても離れないと決めています。特に彼の善良な心が病に侵されているのならば、尚更去ることは出来ません」
「だからこそ、帰るのです。もう、治りません、あの病は。私はお二人の思い出に傷痕を残したくはありません!」
一歩も譲らないネルファンディアに、珍しくバーリンが声を荒らげた。
「………誰も望んでいませんよ、そんなこと。悪いのは全て、竜の病です。あれが悪いのです………トーリンではなく」
「…………。」
「声を荒らげたこと、お許しください。それでは失礼します」
バーリンはそう言うと、そのまま去っていってしまった。残されたネルファンディアは、自分は一体、どうすべきなのか。そして何がトーリンにとって最善の方法なのかを考えると、途方もない霧の中に独り立ち尽くす気分に駆られるのだった。

王座の間に戻る途中、ネルファンディアは思わず足を止めた。トーリンの怒鳴り声が聞こえてきたからだ。
「一体、いつまで待たせる!?誰かが取った!アーケン石を取ったに違いない!」
「仲間をお疑いですか?トーリン」
「そうだ。それ以外にあるか?」
彼女はそのやり取りを聞いて思わず口元を手で覆った。それから衝撃で泣き崩れることもままならず、呆然と立ち尽くした。
優しかったトーリンが。あの気高くて、いつも聡明だったトーリンが……………
「こんなことって…………」
───あんまりだわ。
思い出せば、忘れられない記憶の数々。


初めて出会った時の、ドワーフとは思えないあの丹精で、気高い眼差し。惹かれたのはそれだけではなかった。どこか深みを帯びている瞳のせいで、彼女が自分の5000年間耐えてきた苦しみをほんの少しでも分かってくれそうだと思えたからだ。彼女の関心は留まることを知らず、宴会の席ではお互い見合わせながら笑いをこらえることもあった。
旅に出てからは、新しい1面を見て悲しく思うこともあったが、それでも彼女にとってトーリンは世界でただ一人の王子だった。
どんなことがあっても責任を感じ、そのせいで素直になれないトーリン。笑顔が素敵なのに、なかなか笑わないトーリン。本当は仲間思いなのに、何も言わないトーリン。全てが愛おしかった。
────だからこそ、今のトーリンの姿は辛いものだった。見るに耐えないその姿をこれ以上知りたくないと、ネルファンディアは声を殺して一晩中泣き続けるのだった。



その姿をただ一人見ている人物がいた。ビルボは手のひらに握っている2粒のどんぐりを見ると、忍びの者らしくネルファンディアのそばにそっと近づき、1粒差し出した。
「………これは?」
「どんぐり。ビオルンの庭で拾ったんだ。家に帰ってから植えようと思ってさ」
「………ありがとう」
ネルファンディアはかすれた声を絞り出すように礼を述べた。彼女には涙で滲んで、どんぐりの輪郭さえ解らなかった。

ただ、どうしようもなく誰かの優しさが心に刺さる夜だった。



異変が起きたのは次の日の朝だった。目が覚めたネルファンディアが下に降りると、瓦礫が入口に積まれ、要塞のようになっていたのだ。彼女は慌ててトーリンに子細を尋ねた。
「トーリン!何をしているの?」
「あれを見てみよ。エスガロスの民共が我らの財宝を奪うべく、虎視眈々と狙っておる」
彼の指さす方向には、エスガロスの民がいた。先頭はもちろんバルドだったが、丁度こちらを一瞥して帰り始めているところだった。ネルファンディアは彼らが住処を失い、路頭に迷っていることを知っていた。もちろん、トーリンも知らないはずはない。
「…………酷い。一体、彼らに何をしたの?」
「住処を与えてやっただけ有難いと知らぬ愚かな貧民共が、この機に乗じて財宝の分け前とは。」
「トーリン…………まさか、約束を違えたのですか?」
「約束?知らぬ。したかもしれんが、証拠は残っておらぬ」
ネルファンディアの中で、抑えていた怒りがふつふつと煮えたぎり始めた。そして、周りが察して止めようとする前に、その手はトーリンの頬を叩きつきけていた。乾いた音が広間に響き渡る。驚きを隠せない王は、初めて感じる痛みを現実のものか確かめるように頬を抑えて狼狽した。
「────な…………ネルファンディア…………?」
「目を覚まして下さい、トーリン。あの人たちもあなた達と同じ、故郷を失った者達なのです。人の痛みを解さぬ王など、ただ王座に座り、王冠を載せて喜ぶ愚か者でしかありません」
「私に逆らう気か!?ネルファンディア!!!そうか、読めたぞ。そなたが私から財宝をせびらぬ訳を。私をその純情な眼差しで騙し、全ての金銀財宝を奪おうという魂胆か。この、泥棒猫め!!」
トーリンは我を忘れて怒りをぶちまけた。そして、全て言い切ってから、言ってはいけないところまで言ってしまったことにようやく気がついた。その時には既にネルファンディアは泣き出し、走って部屋へ向かうところだった。
「…………トーリン、どうなさるおつもりですか」
バーリンの一言で、彼は我に返った。取り返しのつかないことをしたことくらいは分かっていたものの、せめて彼は誤解を解きたいと思い、慌てて彼女の腕を掴んだ。
「…………ネルファンディア!!待ってくれ!違う!私は────」
「────離してください、その手を。」
「私は、そなたを愛している。だから、だから………私の元から去っていかないでほしい!」
振り返ったネルファンディアの表情は、まるで肌を刺すように冷たい霧降り山脈の雪のようで、その瞳は邪竜を見下したときと同じものだった。彼女は泉から湧き出るような澄んだ、しかしきっぱりと愛のこもっていない声で返事をした。
「───黄金よりも?いいえ、違うわ。あなたは私よりも黄金を選んだ。でも、もういい。聞き飽きたの」
「勝手にしろ!お前には愛想を尽かしたわい!消えろ!消え失せろ!二度と私の前に姿をあらわすな!」
「言われなくとも、そういたしますわ」
ネルファンディアはそのまま振り返ることは1度もせず、トーリンの元を去った。

彼女の後を追うものは、もう誰も居なかった。

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