A tale of Erebor

□二章、二度目の旅立ち
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帰宅したサルマンをネルファンディアは暖かく出迎えた。
「おかえりなさい、お父様」
「………」
返事をしようとせずに真っ先に部屋へ向かおうとする父の袖を、我慢しきれず彼女は掴んだ。
「何をする」
「あなたは一人じゃないわ。私だって、娘なんだから………私のことも頼ってよ、お父様」
驚くサルマンにネルファンディアは抱きついた。ほんの少しだけ表情を柔らかくした彼は、彼女の頭を不器用に撫でた。
「…………すまん、我が娘よ。私は愚かなことを考えておった。辛いことはお主も同じ……大切なものを失っても、誰かを思いやれるお主は……」
サルマンは上を向くと、彼らしくもない褒め言葉を呟いた。
「────お主は、我が誇りの娘だ」
その言葉に驚いたネルファンディアは顔を上げると、ちょっと照れくさそうな父をみて笑った。
「お父様が照れるなんて。今日は変な日ね!さ、朝食を用意してるの。食べて!」
彼女はぐいぐい彼を引っ張ると、久しぶりにお互い向き合って食事をとった。
いつの間にかネルファンディアの心配はどこかへ吹き飛んでいた。
──お父様が自由の民を裏切るわけがないわ。きっと危険なものだからこそ置いておいたに違いない。
それまでの時間を埋め合わせるように、二人は親子の時間を過ごした。



だが、そんなつかの間の幸せは突然の来客によって現実に引き戻されるまでのことだった。




ある日、北の方角から何かが来たと思うと、それはガンダルフだった。エレボール遠征以来の再会にネルファンディアは喜んだが、彼はそうでは無かった。なにやら浮かない顔をしており、サルマンに相談事があるようだった。彼女は父を呼ぶと、物陰から様子を伺った。
「サルマン、サウロンの指輪が姿を現した。モルドールに火が戻ったのだ」
「何?"あのとき"のように、またお主は騒ぎ立てるのか?」
「"あのとき"も正しかった!結局奴のせいでトーリンオーケンシールドは………」
ネルファンディアは二人の会話でサウロンが蘇ったことを確信した。だが、それより彼女の心を捉えたのは"あのとき"という言葉だった。
───トーリンが?ガンダルフとお父様は何か隠しているのね。
彼女はその後も耳を傍立てた。すると、二人はあの例のパランティアの部屋に向かった。その直後二人の口論が聞こえたと思うと、ガンダルフのうめき声がしはじめた。ネルファンディアは慌てて部屋に入ると、そこにはガンダルフを魔法でぐるぐると回し、床に叩きつけるサルマンの姿があった。
「やめて!お父様!」
「離さんか、ネルファンディア。この男がいかに愚かな行為をしようとしておるのか説明してやっておるのだ。」
彼女は父の裾に取り付きすがったが、既に彼の目は正気を失っていた。
「万能のサルマン、多彩なるサルマン、賢者サルマン、天才サルマン…………当然だ!私はサルマンだ!」
彼女はあまりの父親の変貌ぶりに思わず後ずさりし、ガンダルフの顔を見た。彼は意識を失いかけていたが、その目はたしかに関わるなと言っていた。

ネルファンディアは自室に逃げ込むと、床に座り込んで涙を流した。悲しみの訳は他でもない、唯一の肉親であるサルマンが変貌してしまったことに対する不安と孤独、そして悲しみだった。
「また…………力になれなかった………私は………」
彼女は顔を手で覆い、ただ悲嘆に暮れることしかできなかった。




ガンダルフはサルマンに叩きのめされ、オルサンクの塔の最上部に幽閉されていた。虚ろになってはいるが、その眼光はまだしっかりしている。ふと、彼は何かの音を捉えた。それは曇天の空から降り注ぐ冷たい雨ではなく、木々がなぎ倒されている音だった。サルマンは隠していたオークの兵力を露わにすると、地下に要塞を掘り、その周りの木々を燃料として切り倒し始めているのだ。その手はファンゴルンにまで及ぼうとしていた。
「…………なんと愚かな………」
ガンダルフもサルマンのあまりの変貌に驚いていた。彼にはその理由が分からなかった。ネルファンディアのような素晴らしい娘がいて、何がこれ以上不満なのか。
──早く、ここから逃げなくては…
彼が空を仰いだ時だった。懐かしい声が耳に飛び込んできた。
「ガンダルフ!しっかりしてください!」
「─ネルファンディア!!どうやって来たのだ……」
「父は今オークの見回りへ向かっています。今のうちに早く逃げてください。レヴァナントに乗って皆に知らせてくださいな」
しかし彼は首を横に振った。
「………わしは行かん。あの男からまだ聞き出したいことが山ほどあるでな」
「ですが!このままでは中つ国が大変なことに」
ガンダルフは苦悩した。今すぐに逃げられないのならば、誰かがこの危険を裂け谷へ知らせなければならない。だが、かつて自分が発破をかけた旅のせいで、ネルファンディアが心に傷を負わせてしまったという一点の後悔がどうしても提案を拒んでいた。彼女はそんなガンダルフの気持ちを汲んで、立ち上がった。
「私が、裂け谷へ行きます。他になにか言わねばならないことはありませんか?」
「ネルファンディア………全種族の会議を開いてくれ。そして、賢者の会議に父の代わりに参加するのだ」
彼女は深く頷いた。だが、もう一つだけ疑問に思うことがあった。
「いったい今、何が起こっているのですか」
彼はサルマンがまだ帰ってこないことを確認すると、眉をひそめて説明し始めた。
「………サウロンが復活し、やつの力の指輪が見つかった。ビルボが持っておったのじゃよ、ネルファンディア。それが幸いと言えるかはまだわからんが、今のところやつの手には渡っておらん。じゃが、モルドールに火が戻り、オークの軍勢が見ての通り集結しつつある。」
「状況の深刻さはよく分かりました。即刻、ここを発ちます」
状況を理解し、事を実行に移そうと背を向けて歩き去ろうとする彼女に、ガンダルフは呼びかけた。
「………ネルファンディア!」
「はい、なんでしょうかガンダルフ」
「………すまんかった、トーリンのこと。」
ネルファンディアはうっすら笑うと、彼にあのときと変わらぬ声でこう言った。
「────何があっても、後悔ばかりしていては先に進めませんよ。私は、大切な人を失った。けれど、まだ全てではないの。でももし今だ悲しみに暮れていたら、本当に何もかも失ってしまう気がするの。」
彼女はそこまで言うと、エレボールの方角を見ながらつぶやいた。
「………トーリンのことは、あなたのせいじゃない。それだけは確かなことよ」
それだけ言い残すと、彼女はさっそうと塔を降り、それからガンダルフの視界から消え去った。残された彼は、ため息をつくと相変わらずの天気な空を仰いだ。
「─────さて、これからどうすべきやら……」







旅のための服装に着替えたネルファンディアはチェストを開けると、刃渡り80センチほどの剣を取り出した。引き抜くと、それがすぐに上方エルフが鍛え上げた剣であることが見て取れた。
「………トーリン、私を見守ってください」
彼女はその剣───オルクリストを背中にベルトで固定すると、 鏡をちらっと見た。そこに居たのは、かつてエレボール遠征に行ったときと同じ────トーリンが隣にいた時と同じ姿のネルファンディアだった。だが、その表情はかつてのものとは程遠く、今はただ現実と命の儚さと惨さを知っているイスタリとエルフの混血がそこに居た。

部屋から出る時、ネルファンディアはもう一度だけちらりと振り返った。不意にかつてこの家で母と父と3人で過ごした春の木漏れ日のように優しく、暖かだった日々を思い出し、彼女の目の前が霞んだ。だがそれもすぐに切迫した現実に引き戻され、とうとう彼女はもう一度旅に出るのだった。




しかし、この出来事が後に指輪戦争と呼ばれる大規模なものとなることは、まだ彼女を含めガンダルフでさえも知るよしがなかった。

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