A tale of Erebor

□六章、エレボールの謎
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バルドが出ていってからすぐ、ネルファンディアは下の娘のティルダに懐かれ、相手をしていた。
「ねぇ、お姉さんってお母さんに似てる!」
「違うわよ、ティルダ。ネルファンディアさんに失礼じゃない。ごめんなさい、ネルファンディアさん。この子、幼い頃に母を亡くして寂しいのよ」
幼い頃に母を亡くして………
ネルファンディアは母───エルミラエルのことを思い出した。思い出せる限りのことはしたが、この頃いつの間にかアイゼンガルドの父の部屋にある小さな肖像画を見ないと顔がはっきりしないようになってきた。母を忘れてしまう。そのことが彼女をいつも恐れに引きずり込んでいた。彼女はその悲しみと共感からか、気がつけばティルダに優しく微笑んでいた。
「………私も、ずーっと昔の幼い頃に母を亡くしているの。だから、その寂しさは良くわかる気がする」
ビルボとトーリンはその会話を聞いて、ネルファンディアの子供時代は決して絵に書いたような幸福では無かったことを知った。同じように母と父を亡くしたトーリンも、胸が締め付けられるような悲しみを覚えた。
ティルダは少し考えてから絵本を持ってくると、ネルファンディアを椅子に座らせて読んでほしいとせがんだ。
「お願い!読んで!」
「いいわよ、お姉ちゃんのお膝に座る?」
「うん!」
幼いティルダを膝に乗せて絵本を読み聞かせるネルファンディアはまさに母のようだった。それは恐らく彼女がここにいる誰よりも長く生きているうちに身につけたある種の雰囲気なのかもしれない。シグリッドはトーリンたちに深々と頭を下げた。
「なんだかすみません……」
「いや、すごく楽しそうだ。……君の妹さん」
ビルボは微笑ましそうに二人の様子を眺めていた。トーリンはやはり膝に乗るティルダに図らずとも嫉妬心を抱いたが、ネルファンディアの幸せそうな表情を見て、それも悪くないと笑った。ネルファンディアはふとそんなトーリンと目が合うと、彼に何か歌でも歌ってあげればと言った。突然巻き込まれたトーリンは渋々歌ったが、忙しいバルドに甘える代わりに歌よりも抱っこをせがまれ、否応なしに相手をするはめになった。彼はネルファンディアを横目で見ると、ぼそっと一言こぼした。
「……私は父親には向いていないだろう」
「どうして?私は楽しいけどね」
「からかうのはやめろ……」
そんな二人を見ていたティルダが無邪気にビルボに尋ねた。
「ねぇ。お姉さんとおじさんは"こいびと"なの?」
「え?」
ビルボは目が点になった。どう返事をすれば良いものやら。彼は天井を見て、ティルダを見て、もう1度天井を見てからトーリンたちを見た。二人はティルダの質問が耳に入らない程に中睦まじそうに話し込んでいる。
「トーリンは子供が苦手なのね?」
「いや!これでも人里に降りてからは妹──ディースの子たちの面倒を見たのはほとんど私だ」
「危なっかしい。ディースさんも心もとなかったでしょうね」
「いいや、これほどしっかりしている男はおらんぞ」
「本気?道間違えるのに?」
「それは………」
ビルボはそのやり取りを見て、ため息をつくとティルダの前にしゃがみ込んだ。
「………いつかそうなるかもね。でも、そうならないかもしれない。そういう状況だよ」
「そうなの?ならないかもしれないの?」
「うん。でも、なるかもしれない。男と女っていうのはそういうものだよ。ほら、君も拾った種から何が出てくるのかなんてわからないだろ?ひょっとしたら花かもしれないし、木かもしれないし、全然関係ない豆とか野菜かもしれない。」
ティルダはビルボの説明に頷いた。彼が続ける。
「だから、どきどきするし、わくわくする。それが今の二人だよ」
「じゃあ、"こいびと"になれたらいいね!」
「そうだね、お嬢さん」
「あら、ビルボ。何の話してるの?」
彼はネルファンディアに話しかけられて飛び上がりそうになるのをこらえ、ティルダに小さな声で耳打ちした。
「いいかい、今の話は内緒だからね。」
「うん!」
彼女はネルファンディアたちのもとへ戻ると、口に手を当てて内緒と答えたので、それ以上知ることは出来なかった。

陽が傾きだしたのは、ティルダが読み聞かせと歌を一生分聞いて眠りにつく頃だった。バルドの息子バインは、父のいいつけを守ってドワーフたちを密かに監視していた。トーリンは何やら外の景色を険しい表情で見ていた。その隣には、ネルファンディアとビルボがいる。
「………あれが、エレボール?」
「ああ。………かつては美しい場所だった。このエスガロスも含めて」
トーリンはそこまで言うと、今度はその頂を睨みつけながら付け足した。
「………スマウグさえデールの領主が倒していれば良かったものを。そうすれば我らは路頭に迷わずに済んだ!!」
すると、関係ないはずのバインが突然割り込んできた。
「違う!矢は当たった!当たったんだ!そこまで知っているなら、奴の胸元の鱗が一つ剥がれたことも知っているはずだ」
「奴の放った黒い矢は次々と外れた。そして、当たらなかった。それが真実だ。そんなもの、夢物語に過ぎぬ」
ネルファンディアはトーリンと肩で息をするバインの間に立つと、トーリンに向き直って尋ねた。
「黒い矢とスマウグって、何?」
「黒い矢は、ドワーフが度重なる竜の襲撃に備えて作った特別な竜退治用の矢だ。奴の鱗は鋼のように鋭く頑丈だからな。スマウグは………」
彼は一瞬声を詰まらせて続けた。
「スマウグは、我らの故郷を奪った竜だ。……今も、エレボールに住んでいる。恐らくあの貪欲な竜は、スロールの間で黄金に埋もれて眠っているだろう。……今のところはな」
「そのスロールの間に行かなければいいのね」
彼は首を横に振った。
「いや、そこに全ドワーフの王と民を統率する象徴である王の石──アーケン石がある。あれがなければ私は王位に就けない」
「でも、埋もれるくらいの財宝の中から探し出すのって………」
「それでも探すのだ!!必ず探すのだ!」
急に口調を荒らげたトーリンは、彼女の肩を強く掴んでそう言った。驚きのあまり、ネルファンディアは言葉を失った。我に返った彼は、狼狽して彼女から後ずさりした。
「す、すまない………私は………どうして………」
頭を抱えて柱に寄りかかるトーリンに、ネルファンディアは恐る恐る近づいて励ました。
「………大丈夫よ、トーリン。母が亡くなったときの父や周りの人もこんなだったから。……慣れてるよ」
「ネルファンディア………エレボールに近づいて、もし、もし、私が変わってしまったら、そなたはどうする」
突然の問いかけに、彼女はどう答えればいいのか迷った。すぐに返事をしなければいけないことは分かっていたが、どういう返事が最適なのか、またその質問の意図が分からなかったので、彼女は一瞬言葉を失った。それから我に返ってなにか言おうとする前に、トーリンが忘れてくれと言ったので、彼女は結局返事をすることが出来なかった。

その後一行は武器を探すと、こっそり家を後にした。外は寒く、夜風が身に染みた。暖かい地方の生まれのネルファンディアにとって、身を切るような寒さは辛いものだった。だが今の彼女の頭の中では、先程のトーリンの言葉のほうが重要なものだった。
────まさか、エレボールに近づくなんてことで彼が変わってしまうなんてありえない。
今の彼女は、そう言い聞かせて納得するしかなかった。

このことが、後に二人の運命を決定的に分かつことになろうとは、知る由もなく。

冬が、もうすぐそこに来ていた。
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