長編

□第三章『入内』
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 準備期間の三ヶ月。茶州に発つとしている日から、秀麗は紅家貴陽邸に身を寄せていた。
 静蘭は羽林軍で貴陽に残っているから、ここにはいない。もちろん邵可もだ。
 今、百合姫が遊びに来ていた。
「ねえ、秀麗。ここの生活にはもう慣れた?」
「はい、百合様。ありがとうございます。皆さんにもよくしていただいて」
「よかった。あのね、自由にしていいのよ、わがままも言っていいのよ。『秀麗姫はなんでも一人でなさいます〜』って、使用人がオロオロしてたわ」
「……すみません。以前から本当に一人で何でもやらなきゃいけない状態だったので、身の回りのことを人様にやってもらうと変な感じがするだけなんです。……でもやぱり『姫』っていったらそういうことしちゃいけないんですよね……」
 百合姫は笑った。
「いいんじゃない? それもあなたのいいところでしょう? 私なんか、何をやっても不器用でダメダメよ。慣れないながらもね、いろいろ楽しそうだから、やってみるわけよ。刺繍とかの趣味の域から掃除とかまでね。でも何をやってもド下手なものだから、黎深に馬鹿にされちゃったわ。お茶なんて、入れてあげたら一口で『不味い』よ。酷くない!?」
「……仲がよろしいんですね」
 言っていることとは逆に、百合姫の言葉は優しさに溢れていた。百合姫は小さく笑った。
「ふふ、まあね。黎深の扱いだけは、超一流よ。まあ、邵可お義兄様には負けるけど。あの悠舜殿にも『黎深を任せられるのは百合姫だけです』ってお墨付きもらったしね」
「えっ、悠舜さん? お知り合いなんですか?」
「あら知らなかった? 黎深と同期なの。悠舜殿だけじゃないわよ、鳳珠も。知ってるでしょ?」
「あの……ダレですか……?」
「えーと、黄戸部尚書のこと。今はなんて言ったかしら……そう、黄奇人」
「えっ……」
 秀麗は絶句してしまった。確かに黄尚書と悠舜は同期といっていたが……。
「……意外と麗しい名前なんですね」
「ええ? 麗しいのは名前だけじゃないわよ」
「ああ、確かに信じられないくらいきれいな髪をお持ちですよね」
 秀麗は絹糸のように流れる髪を思い出した。……もう一度触りたい。
 ふとみると、百合姫がさもおかしげに笑っていた。
「あの……なんでしょう?」
「他にもあるのだけれど。またのお楽しみね。あの三人が揃うと、本当に楽しいのよ。楽しみにしておいでなさいな。三人ともに気に入られているあなたなら、きっと見られてよ」
「あ、ありがとうございます……」
 黎深のときにも思ったが、百合姫もなんだか想像とかけ離れた人物で、秀麗は最初戸惑った。良家の方で格調高い人を想像していたのに。
(まあ、慣れたけどね……)
 急に、百合姫が秀麗の手を取った。
「そうだ。ねぇ、お饅頭を作ってくれないかしら」
「饅頭ですか?」
「そう。何年か前に、絳攸があなたの手作り饅頭をお土産に持って帰ってくれて食べたんだけど、おいしかったのよね」
「いいですよ。厨房お借りしてもいいですか?」
「ええ。今から行きましょ。黎深が帰ってこないうちに」
「叔父様に内緒ってことですか?」
「いいのよ。だっていつもあなたを見たぞ、かわいいぞ、いいだろうって自慢するんだもの。ああでも絳攸には作ってあげて? 絳攸の好物なのよ」
「…………そ、そうなんですか」
 意外なところに好物があったものである。
 秀麗は絳攸に饅頭を出してあげたときを思い出した。確かにわずかに頬が緩んでいるかもしれない。
(今度饅頭を差し入れてあげよう)
 秀麗は思った。
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