長編

□第八章『陽動』
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 ある日突然外が騒がしくなった。剣戟の音がしたのだ。一瞬のことで、身構えるまもなく音はなくなった。
「どうしたんでしょうか……?」
 まだ警戒心を解けない様子で、秀麗は絳攸に問う。絳攸もわからないというように無言で首を振った。
 だが少し考えれば。
「――縹家」
 二人同時に呟いて、得たりと顔を見合わせる。だが楽観できることでななかった。
 二人が表情を険しくしたとき、府庫の扉が勢いよく開いた。
「姫さん、大丈夫か――?」
 思いがけない声に、秀麗は耳を疑った。だが見えたのは、間違いなく立派な体躯。そしてもじゃもじゃの鬚とそこからわずかにのぞく十字傷――
「燕青……?」
 震える声に、燕青はにかっと笑った。
「なんだ姫さん、俺の顔忘れちまったのか?」
「忘れるわけ、ないじゃない、燕青!」
 秀麗は燕青に駆け寄った。狭い府庫の中で、燕青は器用に秀麗を抱き上げる。
「なん、で、ここに、いるのよ……!」
 涙を隠すように押し付けた頭を、燕青はぐりぐりとかき回した。
「なんでって、いやー、俺も最初はびっくりしたけどなー。英姫ばーちゃんに話を聞いて、尻叩かれてきたんだよ」
「でも、燕青、茶州の州尹……」
「んなもんは影月に引き渡してやったよ。姫さんところへ行くっつったら、喜んで引き受けてくれたぞ?」
「そうなんだ……」
 香鈴を呼び、燕青も来ることになって、影月なりに秀麗を心配してくれたのだ。影月が知るはずがないけれど。
 秀麗はハッとする。
「燕青……どこまで知ってるの……?」
 すると燕青は苦く笑った。
「たぶん、姫さんと同じくれーかな? あ、もちろん影月は知らねーぜ? 邵可さんがずっと隠してたもん、簡単には言えないからな。櫂瑜のじーさんはもともと知ってたらしいけど」
「そう……」
「んで、折りよく制試が開かれるっていう話もきたからさ、どうせなら受けて来いって散々推薦状もたされたぜ」
「それは……」
 話があったのは秀麗も知っている。しかし、こんなに早くとは思わなかった。
 秀麗はハッとした。たぶん、劉輝だ。劉輝と悠舜が燕青を呼び寄せるために。……なんて想われているんだろう。
 燕青は笑った。お日様のような笑顔で。
「愛されてるなー、姫さん」
「……うん!」
 秀麗は溢れそうになる涙を必死でこらえた。
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