和風中編

□狼男伝説〔後編〕
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 一度積もった雪が風にあおられて再び舞う。
 そんな中、笠を被った一人の男が立っていた。笠から垂れる二本の紐のうち、一本は途中で切れておりとても短い。あごの下で結わえることもできないから、男は自分の手で頭に押さえつけている。しかも、笠の部分もびりびりに破れていて、少しも役に立つとは思えない。
 その男が身につけているものは、他には何もない。この寒さの中、男は全裸で立ちはだかっている。ただ、その足元に、黒ずんだ衣が今にも雪に埋もれそうに落ちていた。
 やがて、男は笠を取り、風に飛ばぬように衣の下に敷いた。そして空を仰ぐ。
 ――いや、月を。
 満月が、ぽっかりと浮いていた。
 その真円を男の鋭い眼光が捕らえる。
 みしり、と体のどこかが軋んだ。
 ――変化が、始まる……。
 誰が信じるだろう、その異様な光景を。
 おそらくは誰も信じまい。たとえ伝説を信じる閭人であろうとも。
 男の細胞が欲望に震え、変化を促す。
 伝説は伝説。
 現実は現実。
 伝説は現実に影響を及ぼしはするが、現実は伝説を受け入れない。
 あの娘もそうなのだろうな、と考え、男は皮肉げに口許を歪めた。
 途端に苦痛の波がやってくる。
 満月の夜は体に溜まるしこりを散らすとき。それをしなければ男は次の十五夜までに崩れる。
 だが――――
 男は叫び声をあげた。
 引き締まった肢体は毛で覆われ、骨格は変貌する。足は短くなり、腰は曲がる。
 男は手をついた。
 いや、もうそれを男とは呼べない。叫び声は咆哮となっていた。


 長い咆哮が途切れたとき、それはぐるりとあたりを見回した。
 その姿は、もはや立派な森のヌシだ。



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