和風中編

□わが背子を(連載中)
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<序章 長雨>

 斎宮(いつきのみや)は、伊勢神宮にお仕えした皇女(ひめみこ)のことである。
 神聖な役目であるから、本当は関係ないことなど考えてはいけないのかもしれない。託宣をする、という大役もあるのに、ましてや男のことなど。
 だけど、と斎宮の大伯皇女(おおくのひめみこ)は溜息をつき、斎宮御所の外に広がる森をながめた。
 飛鳥の都から遠く離れ、幾重にも網を張り巡らされたような奥まった伊勢の神域にも聞こえてくる噂はある。いや、伊勢まで聞こえてくるものは、噂と言うより真実と言ったほうがいい。
 いつもは生まれ育った飛鳥の懐かしい頼りと聞いていたが、今の噂はそんなふうには言っていられなかった。それは、皇女の弟である大津皇子(おおつのみこ)の生命の危機の噂だったからだ。
 安からぬ噂が届いてからもう幾日もたつ。それと同じ数だけ、皇女は眠れぬ夜を過ごしていた。
 皇女つきの女官が心配顔で皇女を見守るが、その女官の顔色も悪かった。この女官は杏菜(あざさ)といって、乳母のいなかったふたりにとっての乳母のような女だった。
(わたくしには杏菜がいるけれど、あの子はどんなに心細いかしら……)
 考えるのは弟皇子のことばかりである。
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