現代短編

□こけしに寄せて
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 私の机の引出しの奥には、ベージュの写真立てがある。

 十年以上も前のことだ。
 どうしてそんな写真を撮ろうと思ったかなんて、とうに忘れてしまった。理由なんて、特になかったようにも思う。文化祭かなにかの打ち上げて撮ったのかもしれない。友人が遊び心で撮ってくれたのかもしれないが、とにかく忘れてしまった。
 ただ一つ確かなことがある。それは、写真の中の私の笑顔が、ほかにないほど晴れやかなことだ。名前も忘れてしまったし、顔だってこの写真の表情しか思い出せない相手だ。なのに、どうしてこんなにも笑っているのだろう。私たちは、素晴らしいとしか言いようのない表情でカメラに笑いかけている。
 また、この写真を見つけてしまった。
 いつもは一番上の引出しの奥にしまいこんであるのに、どういうわけか、すぐに私はこの写真を見つけてしまう。他の場所にしまえばいいことだとは分かっているが、何となくその気になれない。この写真立てはこの位置と、決まっているように思えるのだ。
 私は写真をさげすむように睨みつけ、うんざりした。心から笑うということを忘れていなかった当時の自分は、今の自分から見たら愚かこの上ない。それでも美しい笑顔を持っていた過去の自分はとても眩しくて、その写真を捨てることはおろか、アルバムの中に紛れ込ませることさえできない。そんな自分が情けなくて、嫌になる。
 昔、私はロマンチストだった。かわいい物好きでもあった。マグカップなど、今でもその面影は残っている。花やハート形の写真立てだっていくつもある。なのにわざわざベージュの買いに行ったのは、そのツーショットがまるで恋人同士に見えたからだ。ベージュなら、青春の一ページなのだと言い訳できる。
 なのに、なのか、だから、なのか、私はその写真が見たくなかった。どうしてだか分からないけれど。
 思い切りその写真を睨みつけた後、私はそれをいつものように、すっかり夢を忘れた部屋の机の引出しの奥にしまいこんだ。


 久しぶりに買い物に行こうと思った。嫌なことがあったときはこれに限る。酒を飲むことはないし、第一私は下戸だった。
 顔もろくに覚えていない相手のことが頭に浮かんで離れないことほど、いらつくことはない。だからそんなときは買い物なのだ。デパートにでも行って、新しいファッションに胸を躍らせて、そんなこと、追い出してしまえばいい。
 たとえすぐにその存在を感じるようになることがわかっていても、一瞬でも忘れられるのなら、それでよかった。
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