短編
□白鳥の故郷
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絳攸が府庫に向かっていると、誰かが突進してきた。
「うわっ」
「きゃっ」
二人は見事に衝突した。幸い絳攸は踏みとどまったが、走ってきた相手は早いし軽いし、盛大に尻もちをついた。
絳攸は相手を見下ろして驚いた。彼女は、大量の書翰を両手で死守していた。
あきれたような、嬉しいような、不思議な笑みがこみ上げてくるのを感じながら、絳攸は手を差し出した。
「大丈夫か?」
「ごっごめんなさい、絳攸様っ!」
秀麗が大量の書翰を抱えながら立ち上がると、それがいっそう重そうに見えた。半分持とうと無言で書翰に手を伸ばしたが、秀麗は少し書翰を揺らして絳攸の手を逃れる。
「大丈夫ですよ。ありがとうございます」
遠慮ではない、やわらかな拒絶だった。そう感じて絳攸は胸が痛み――ハッと気づいた。
書翰は大切なものだ。安易に人の手に渡してはいけない。特に、御史台の書翰は特別なのだ。
別に秀麗が絳攸を信用していないというわけではないだろう。だがいくら信頼していても、決して人の手に渡してはいけないというものはある。秀麗の手にあるのがどれくらい重要機密なのかは知らないが、秀麗はそれを守ったのだ。
さっきぶつかったときに書翰を第一に守ったのもその理由からだろう。書翰がばらけて人の目に触れてはいけないから。
そうした秀麗の覚悟に、絳攸は尊敬の念を覚えた。
「絳攸様?」
絳攸を訝って顔を覗き込むその顔はまだあどけなさが残るのに、本気の時の秀麗は横に立つのがはばかられるほどに凛々しく美しい。いつの間にか、弟子は師のもとを飛び立っていた。
「いや、なんでもない」
そうしてお茶を濁したものの、秀麗がまだ心配していることはわかった。
「これからどちらにいかれるのですか?」
「……府庫に」
秀麗はにっこりと笑った。
「私も府庫に行く用事があるんです。まずはこの書翰を届けなければなりませんが、すぐ行ってきますので待っててくださいますか?」
「わかった」
ぶっきらぼうに言ったのは、秀麗の笑顔に驚いたからだ。こんな女の一面もある。ほんのりとした心を、絳攸はもてあましていた。