頂物

□優しい雨
1ページ/2ページ


ぽつり、と冷たいものを感じて顔を上げる。

見上げると、薄暗い空から数滴の雫が落ちてきた。
ぽつぽつと降り始めた雨は、あっという間に地面を黒に染める。
土砂降りではないけれど、その雨はすぐに二人の服に水玉の模様を作る。

「うわー、降ってきちまったか。姫さん!ちょっと走れるか?」

「ええ。行きましょ。」

二人は駆け出した。燕青は、秀麗に合わせてゆっくりと走ってくれている。
そうして走っていると、小さな小屋を見つけた。

「とりあえず、あそこで雨宿りしようぜ。」

「そうね。」

それほど強い雨ではなかったけれど、小屋に着いたときには、二人の服は湿っていた。
一応、戸を数回叩き、人の有無を確認する。
人の気配はないようだ。そっ、と戸を開けると、きちんと使われているようで埃っぽくもなかったし、じとじとと湿ってもいなかった。
秀麗は、ほっ、と息をつく。
これならば、恐らく、火を点ける道具なども置いてあるかもしれない。
そう思って、声を掛けようと、燕青の方を振り向いた。
けれど。

「きゃあー!!」

秀麗は、悲鳴を上げ、咄嗟に目を覆い隠した。
とある光景が目に入ったからだ。上半身裸の燕青が。

「燕青!!いきなり服脱がないでよっ!!女の子が目の前にいるのよっ!」

燕青にすると、ただ当然のことをしただけだった。なぜなら、濡れた服を着たままでいたら風邪を引いてしまうからだ。濡れた服は、どんどん体温を奪って身体を冷やす。止むを得ないことだった。

「だってなー、姫さん。このままでいたら風邪引くぜ?」

「ううっ。それは解ってるけど、でもっ!!」

顔を赤くして、なるべく燕青の方を見ないようにしながら、秀麗は抗議する。
けれど。

「っくしゅっ!!」

秀麗は、くしゃみをして身体を震わせた。そして、自分の両腕を抱え込む。やっぱり、燕青の言った通り、身体が冷えきっている。このままでいたら、確実に明日は寝込むことになってしまう。

「ほら、言わんこっちゃない。だから、風邪引くって言っただろ?」

「そうね。とりあえず、火を興すものを探―――きゃっ。」

秀麗は、いきなり腕を引かれ、小さく悲鳴を上げた。気付くと燕青に抱き締められていた。

「えええ燕青っ!?」

「こうすれば、あったかいだろ?」

そう言うと、いつものように、にかっ、と笑った。

(そりゃあ、確かにあったかいけどっ!!でも!!)

暖かい、というよりも、熱いと言った方が正しいかもしれなかった。さっきまで冷えきっていた筈の身体は次第に熱を持ち始めている。
秀麗は、自分の今の状況を把握しようとした。
今までこんな状況になったことなんてあるわけがない。今、秀麗は上半身裸の男の人に抱き締められているのだ。燕青の大きな胸板が目の前にあって、秀麗はぎゅっと目を瞑る。

何故かは解らない。
いつも燕青にその逞しい腕で抱き締められると、泣きそうなくらい安心するのに今日は違っていた。
この静かな室内で、自分の鼓動だけが響いているような気がするほど、鼓動が疾走している。

ダメだ。このままでは、息切れまでしてしまいそう。
そう思って、燕青の身体を引き離そうとするけれど、羽林軍の武官以上の実力を持つ燕青に、それが叶う筈もなく、逆に強く抱き締められてしまった。

「えっ、燕青っ!!大丈夫だから、もうそろそろ放してちょうだい!!」

このままじゃ、心臓が持ちそうにないから。
言葉で必死に訴えてみたけれど、燕青はそれをあっさりと却下した。

「ダーメ。姫さん、大分冷えきってただろ?副官の諫言には耳を貸すもんだぜ?それがいい上官のヒケツ!」

「それはそうだけど……」

確かに言っていることは正しいのだが、何かそれとこれとは話が違う気がすると思いつつも、秀麗は抵抗を諦めて燕青に身体を委ねた。
そっと、燕青の胸に耳を付けると規則正しい鼓動の音が聞こえている。その音を聞きながら、秀麗はそっと目蓋を閉じた。

「あったかいな。」

「あったかいわね。」

燕青が呟くと、秀麗は同意した。

とくん、とくん。
互いに響き合う鼓動。

いつもとは違う、穏やかな安心感に戸惑いながらも、秀麗は自分の想いを自覚したのだった。

(もう少し、このままでいたい。)

雨が止まないと帰れない。けれど、もう少しでいいから降っていてほしい。
お願いだから、もう少しこの腕の中にいさせて。
このささやかな願いが、天に届くように。きゅっ、と目を瞑る。
その願いは天に届いたのか―――

二人の周囲には、しとしとと降る優しい雨音が響いていた。

____________

柔らかな音に包み込まれ
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ