長編

□第九章『前へ』
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 府庫の外の暗闇では、何かが飛び交っている。秀麗ははじめ矢かと思っていたが、違うようだった。矢にしては何かに刺さる音が聞こえず、聞こえるのは金属音なのだ。
 息を詰めてじっと外を見ていると、あるときひとつの影が現われた。秀麗は目をこらす。月明かりに光るのは、両手に持つ武器。それが舞うようにきらめく。
 どこからともなく別の人物が現われ、小さな呻き声を上げて戻っていく。それが何度も何度も繰り返された。舞い手も時折小さいが苦しげな声を出す。囁くような、優しい声で。
 ひらりひらりと舞う女官服。それが珠翠だと、秀麗にはもうわかっていた。そして珠翠は怪我をしている。
 助けに行きたかったが、秀麗が出て行っても事態は悪化するだけだとわかっていたので、秀麗は動けなかった。
 少しずつ、珠翠は傷ついていく。胸がつぶれるように痛かった。
 ――何のために、こんなことを……!?
 きゅっと拳を握りしめたとき、秀麗は外の異変に気づいて見開いた。
「――雪……?」
 そんなはずはない、今は夏。貴陽は冬にしか雪は降らない。秀麗はやっと気づいた。
「花びらだわ…」
 大きな花弁。白いから、雪に見えたのだ。
 そして秀麗はもう一つ気づいた。珠翠が舞うのをやめていることに。
 カラン…と音がした。珠翠の手からこぼれおちた武器は地面を転がり、現われた男の前で止まる。
 不覚にも、美しいと思ってしまった。それが誰か、秀麗はもう知っている。
 彼は敵。珠翠と秀麗を捕らえようとしている。
 それでも、月下に輝く銀の髪は、どんな絵よりも美しかった。
 秀麗はその場の空気がどんどん変わっていくのに気づいていた。緊迫した様子は一転して、刺すような、それでいて絡みつくような空気。圧倒的な恐怖だ。
「よく私たちの手下を可愛がってくれたね、珠翠。まあこれくらい殺されたって痛くもないが。『狼』の君が殺さず傷を与えるだけなんてね。殺しに来た相手には殺すつもりで相対しないと自分が危険だと、『狼』のときにいやというほど学んだろうに。それほど小さな薔薇姫の言葉は重いかな?」
 縹璃桜はゆっくりと言った。それでも珠翠が一言も発さなかった理由を、秀麗は痛いほど感じた。言えないのだ。圧倒的な恐怖によって。
 珠翠はその場に立ち尽くしていた。
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