和風中編

□狼男伝説〔前編〕
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 音もなく舞いつづける雪の下で死ななかったのは奇跡であろう。
 緤が覚えているのは頬に感じたやわらかな雪の感触だけだ。その冷たさは覚えていない。
 だが今、緤の頬はちくちくと痛い。やわらかい刺の上に寝ているようだ。
 ゆっくりと身を起こすと、真っ暗だった。風はない。だがその音だけがときおり遠くから聞こえてくる。
 じっと耳を澄ませていると、ここは洞窟の中なのではないかと思えてきた。そう思うと、風の音にも納得できる。
 そのうち、足音が一人分聞こえてきた。思わず身の危険を感じて緤は身構える。
 足音が消え、と同時にすぐ近くの人の気配に気づいた。
「目が覚めたか」
 問う声は、低いがとても若い。緤は一瞬切なくなった。愁一郎の声とよく似ている。だが違う。彼はしっかりとした人だったけれど、少し間が抜けているところもあった。彼の声はこんなに深くない。
「お助けくださり、まことにありがとうございます」
「無茶をする」
「え?」
「あの吹雪の中、歩く者はいない。外に出るだけで道に迷ってしまうほどだ」
「申し訳ございませぬ。少々事情がありまして」
 そして緤はにっこりと笑った。
「けれど、あなたはその中で私を助けてくださったのですね」
「……」
 男は急に押し黙った。その奇妙な静寂を壊すように、緤が、あの、と言うと、男はぶっきらぼうに言った。
「何か、欲しいものはないか」
「欲しいもの……」
 少し考え、緤は言う。
「では、わたしは明かりが欲しゅうございます。こう暗くては、何も見えませんわ」
「明かり……?」
 不思議そうに彼は言う。はい、と緤が頷くと、そうか、と言って男は立ち上がった。
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