和風中編
□狼男伝説〔後編〕
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しばらくして、こつん、と硬いものが触れ合うかすかな音がした。なんだろうと顔を覆っていた手をゆっくりと膝の上に乗せると、湿ったものが手に触れた。
ひ、と手を引っ込め、おそるおそる伸ばすと、柔らかで長めの毛があった。だがそれが離れると同時に、緤はその正体を知った。そういえば、動物の鼻は総じて湿っている。
そう思ったとき、今度は硬いものに触れた。小さな石だ。そして――と手を伸ばす。期待どおり、彼は棒をくわえていた。たいまつだ。
真っ黒な狼は闇に溶け込んで見えなかったが、そこにまだいるのは確かだった。
たいまつに火をつけて岩の窪みに差し込むと、それだけで緤は安心した。やっぱり緤は明かりが必要だ。
狼は、それからはずっと緤といっしょにいてくれた。甘える様子はない。もちろん、媚びる様子もない。だが、拒絶も感じられなかった。狼は緤の膝に、その牙の鋭い顎を乗せ、目を閉じた。
安心してやっと緤がまどろみ始めると、狼は緤の部屋を出て行った。
「待って」
洞窟の入り口が見えるところまで追いかけていった緤がもう一度言うと、狼は今度は振り返った。
だが、その眼光は鋭い。緤は思わず身をすくめた。
――誰かに、似ている。
怖い、と思うと同時に緤は感じた。この眼光は、見たことがある。
去って行く狼の後ろ姿を見て、緤は気づいた。
そう、ろうすけだ。ろうすけは緤が洞窟の入り口に近づくと、いつもこんなふうに射るような視線で緤を見た。
そう思うと、妙にろうすけが懐かしかった。ろうすけに会いたい、と緤は思った。
ろうすけは翌朝には戻っていた。どこに行っていたのですか、と緤が訊いてもろうすけは答えない。緤もいつものことだと気にしなかった。
いつものように一日に二人で二羽の雪兎を食べ、緤が軽く食器をすすぐ。それだけだった。
緤は何も気づかなかった。
ろうすけも何も言わない。
そのまま、ろうすけは洞窟から出て行った。