txt

□ラブシック
1ページ/3ページ




あぁ、心臓が口から出てきそうだ。いや、寧ろ爆発しそう。
何なんだ。本当に何なんだ。
わかんないわかんない!
やばい、このままだと本当に危ない。
俺、死んじゃうのかな。
まだ死にたくないよ。死ぬ前においしいもの食べなくちゃ。
甘いケーキにふわふわオムレツ、なめらかプリン、もうコンビニのおにぎりでもいいや。
なんか食べたい、お腹すいた…。
……

じゃ、じゃなくて!
今考えるべきなのはこの症状であって、食べ物のことじゃないだろぃ!

ドキドキじゃ言い表せられない程の鼓動の苦しみ。
もう鼓動が激しすぎて気持ち悪い。
こんなのは病気だ。
きっと難病なんだ。

全部全部、仁王のせいだ。




いつからこんなにドキドキとうるさくなったんだっけ。気付いたらドキドキしてて何も考えられなくなった。

「仁王、雅治…」

俺のドキドキのすべての根源。原因。

ドキンッ

「……っ」
…あぁ、もう…!
名前を呟いただけでこんなにもドキドキするなんて。
一瞬でも目が合えば死にそうになるし(一瞬じゃなかったら多分死んでた)、触れれば立っていられなくなる程クラクラする。
なんでこうなるのかはわからない。わかっているのは、それをもたらすのが仁王だということ。




たとえば、こんな風に。

春の陽気がポカポカあったかい日だった。
日差しもまだ柔らかくて、まるでわたあめみたいにふわふわと包んでくる。
暖かくて心地いい。
こんな日はうとうとと眠たくなってどうしようもない。昨晩、親に隠れて弟と遅くまでゲームをしていたことがたたり、さらに眠気は加速する。
確か今日は移動教室はなかったはずだ。このまま寝ちゃおう…。
と、決意した途端に眠気がすうっと浸透してすぐにでも夢の中へ落ちそうになる。
そのときだった。

ぷにっ

右頬を下にして伏せていたためにむき出しになっていた左頬を誰かにつつかれた。
むか。

夢の中へと向かっていた意識はだんだんと現実に引き戻される。
遠くなっていた友達の声や騒音が、はっきりと聞き取れるようになってくる。
最悪。
「誰だ!俺の睡眠を邪魔したやつは!」
勢いよく顔をあげた瞬間、よく見知った姿が目に入る。

どくんっ

「おーおー、こわいのぅ」

そのよく見知った人物は、少しも恐くないような声で言って肩を竦めた。
一つに括った目立つ銀髪がシャープな輪郭を引き立たせていて、切れ長の眼が涼し気で近寄りがたい印象を醸し出す。
とても同じ歳のやつが持つ容姿や雰囲気だとは思えない(真田とは違う意味で)。
そして、口元には黒子。
その人物は紛れもなく、

(仁王だ。)


目の前に仁王がいる。
現実を現実として理解できていない頭をフル回転させて、今の状況を整理しようと試みる。
だけど、そんなこと上手くいかないほどに心臓が痛くてどうしようもない。
…っ!てか今ほっぺ突かれた!
その事実と頬の感触を思い出して顔が強ばってしまう。仁王が怪訝な目を向ける。とにかく、自分の視界から仁王を外さなくては。
「な、何かよう?」
それだけを精一杯何ともないように言って、視線を窓の外に向ける。
外では体育の時間が待ちきれなく校庭に飛び出した生徒がちらほら見えて、その中に生意気な後輩を見つけ少し平常心を取り戻す。
「あー、国語のノート見してほしいんやけど、ええ?」
「国語のノート?」
「国語の授業さぼってばっかやったからねぇ」
「勉強すんの?めずらし」
「たまにはね。テストあるし」
「あぁ」
立海大男子テニス部では、赤点をとったらやらなくてはならない特別メニューというものがある。1教科ごとに1日間。
ラケットも握れずに、部室の掃除をしたり何周もグラウンドを走らされたり…。
特に夏前の特別メニューは過酷極まりないという悪夢。
その所為で部員達はテスト前に死に物狂いで勉強しなくてはならないのだ。
仁王もそれから逃れようと思っているのだろう。仁王ならペテンでどうにかしてしまいそうな気もするけど、ちゃんと勉強するんだ…。意外。

「はい、これだろぃ」
「あぁ、さんきゅ」
そう言って俺のノートを持っていく。
何か不思議な気分だ。仁王と同じクラスっていうのがまず居心地悪い。二年までは違うクラスだったからどうにかなったけど、まさか三年で同じクラスになってしまうとは。
その所為で俺は二年のときの倍以上きりきりと心臓を痛めなくてはならなくなってしまった。
本当に居心地が悪い。悪くてしょうがない。

「あ、ブン太、範囲メモらして」
自分の席に戻っていく仁王を見つめながら、ぼーっと考えていると、不意に仁王が振り替える。

どきんっ
(不意打ちはなしだろぃ)
「範囲表の紙、どっかいってもうたんよ」
「な、無くすなよなー」
ズキズキと痛い心臓の心配をしてから範囲表をカバンから出す。
「今回のテスト範囲狭いんやね」
「あー、そうだな」
なんて学生らしい会話なんだろうと思う。仁王とこんな会話をするとは思わなかった。
仁王は俺の席の前に膝を立てて座って書き写す。
いつも俺の目線より高い位置にある顔とか髪を見下ろしていることが少し感慨深い。仁王の旋毛ってここにあるんだ…。
仁王の字で次々とメモされていくテスト範囲。それを見ているだけで何となく苦しくなってくる。
とても気紛れで曖昧な症状だ。
途中筆箱が邪魔そうだと思い退かすと、角が丸く小さくなった消しゴムが机の下へと落ちていってしまった。
「あ」
「おっと」
二人の声が重なったと思ったら、見下ろしていた顔やら髪が、さらに低い位置へと移動していく。そして机の下へと隠れてしまう。俺は少しも動けずにその様子を見つめていた。
机の下へ落ちていった消しゴムは仁王の右手に拾われる。
「はい、ブン太」
差し出された消しゴムを左手で受け取る。
「ありがと、」
そのとき、
「ほら、落とさんように握っときんしゃい」
仁王の右手が消しゴムを置いた俺の左手を包むように握らせる。
俺の手へと動いてくる間、仁王の手の動きはまるでスローモーションになったかのような動きだった。きっと仁王の動きがゆっくりになったわけじゃないんだろうな、とは思ったけれど、そんなことを考えている余裕は触れた瞬間に吹っ飛んだ。
触れている仁王の右手は暖かくて、少し骨ばっている。指が細長くて、爪が綺麗だ。だけど伸びてはいない。
本当に時が止まっているようだった。鮮明になったはずの友達の声や騒音がまた聞こえなくなっていく。

ドクンっ

聞こえるのは自分の鼓動だけ。分かるのは仁王の右手に包まれているということ。
(ちょ…、やばいって!)

「お、落とさねーし!」
「そう?」
止まった時をまた動かすべく仁王の手から逃れる。
仁王は俺が慌てたような態度をとったことに少し驚いたようだった。
やばいやばい、平常心平常心!
「ほ、ほら早くメモれよ」
「ん」

そうして書き写し終わった仁王は「ありがとう」と言い残し自分の席へと戻っていったのだった。


こんなことでさえ、俺にとっては辛すぎる程の痛さを伴って、心臓やら胸の辺りを狙ってくるんだ。
こんなの普通じゃない。
普通じゃないから恐い。
どうしたらいいのか分からない。


こんな日々を繰り返しながら俺はあることに気付く。
仁王の所為でこんなにも胸が痛むのなら、仁王から離れてしまえばその症状も治まるのではないか。
病気の原因を排除してしまえば全て解決する。
テニスにだって集中できるようになるし、食欲だって増すかもしれない。
なんだ、いいこと尽めじゃないか。躊躇する必要なんて全くない。マイナスの要素なんて一つもないのだから。

そう答えが出た日から俺は仁王を避ける日々を続けることになる。



2へ続く
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ