txt
□ラブシック
3ページ/3ページ
今まで逃げていたドキドキが体中を駆け巡るけれど、今はそれさえも幸せに感じる。
「? 涙目やけど、どうした?」
「あ、ちょっとゴミが」
流れていた涙はぴたりと止まる。
「そうなん?気ぃつけんしゃい」
「…うん」
「あ、日誌書きに来たんよね?じゃ、よろしくな」
仁王はそう言って俺のすぐそばを横切り席へと向かい、何も入っていなさそうな薄っぺらいカバンを持つ。
窓に背を向けて立つ仁王に濃い闇色の影が差し、表情が見えなくなる。
言いようもない不安に駆られて仁王のそばに歩み寄る。
「うん。あの、ありがと」
仁王の瞳を見て言った瞬間に愕然とした。
そのときに、はっ、と思い出す。
この瞳は見たことがある。
何もかもを冷たくさせるような感情のない琥珀色の瞳。
それを目の前にして凍り付く。
「どういたしまして。それじゃ、先に行くわ」
「…あ、…」
そして仁王は歩きだす。俺は一ミリも動けないまま目だけで仁王を追った。
視界から仁王が消えて、目の前にオレンジが広がっても体は動いてくれない。
俺は仁王の瞳で泣きそうになっていた。
それは、悪戯好きで変なことばっかりするのに優しかった仁王が冷たい瞳を自分に向けたからではなくて、そんな瞳をするようになってしまった事実が悲しくて無性に嫌で溢れてきた涙。
今ここで仁王を追い掛けなかったら、それは逃げることと同じだ。
夢の中と同じ。逃げたら、
夢の中の出来事を追うと最後に俺はあるものを見たことを思い出す。
それを思い出した瞬間、今まで動かなかった足が何かに後押しされるようにすんなりと動いた。
仁王が好きだ。
感情のない瞳は見たくない。
ひたすら仁王を追い掛けて走る。部活のランニングみたいに体力を温存して走るんじゃなくて、常に全速力で走った。
風をきる音がする。
昇降口に猫背の背中が見えた。銀髪が夕日に照らされて、紅く透き通った色をしている。
あの背中も髪も、本当はずっとずっと好きだったのに。
何で今まで気付かなかったんだろう。何で今まで見ないふりしていたんだろう。
走って走って仁王に近づいていく。もう少しというところで仁王が振り返る。かまわずそれに抱きついた。
「…ブン太?」
仁王の声が俺の旋毛の上から聞こえる。その声はとても愛しかった。
相変わらず心臓は壊れそうなほどで、きっと抱きついたままじゃ仁王にも鼓動が伝わってしまうだろう。だけど今は走ってきた所為にできる。
それでも、言わなくちゃいけない一言がある。
「好きだ」
つぶやいた言葉は仁王の胸の中へと消えていく。
「…」
仁王が小さく息をのむ。そして俺の肩に手を置いて、仁王から俺の体を離させる。
仁王と俺の間に形容しがたい空気が流れる。
何か言ってくれないと気まずくて逃げたくなってしまう。もう、逃げてばかりじゃいられないのに。
「な、何か言っ…」
「知っとったよ」
…………は?
今、なんて…
「ブン太の行動、分かりやす過ぎじゃ」
知っていた?
知っていた、って…。
「そ…んな、」
それはつまり、俺が仁王のことを好きだってことに、気付いていたってことなのか。
俺だってさっき気付いたばっかりなのに、仁王は既に気付いてたなんて…。
自分でもわかるくらいに、顔が熱い。体が固まって動かない。
恥ずかし、くて。
「…お まえ、気付いてたなら、言えよ」
羞恥と緊張と安心でうまく言葉を紡げない。
「うん、嬉しいよ」
「え、」
嬉しそうな声につられて上を向くと、やっぱり仁王は嬉しそうな顔をしていた。
今度はその表情に魅入って動けなくなる。病気だ。
その間に、唇に薄く柔らかな感触。
「俺もブン太が好き」
あぁ、俺は病気なのに。
昇降口でキスだなんて危ないにも程がある。
誰かが来たらどうするつもりなんだ。
オレンジ色と部活動の音に包まれている空間が俺たちを包む。
それはひどく不思議で、「俺たち」というのが特に不思議で、夢なのか現実なのか、わからない。
だけど、仁王の瞳が俺の好きな、悪戯好きで変なことばっかりするのに優しい眼差しに変わっていたから、まぁいいかなと思ってしまう。
「ブン太、好き」
「…うん」
涙がまた溢れて止まらなくなる。
仁王の前で泣くなんて、悔しいのに、一度溢れてしまうと中々止まってはくれない。生まれ付きそうなのだからしょうがない。
俺の病気はきっと一生治らない。もう、それでもいいと思った。
「俺も好きだ、仁王」
まだドキドキは止まらない。
だけど、もう恐くはないよ。
だって、俺の病気は恋の病だったんだから。
ホント、今更だけど。
END
やっと完結かよ、ってな感じですね。のろいにも程がある…。
ブン太が仁王ドキドキしすぎてたらいいなと思っていたんだけど、最終的によくわかんなくなってしまいました。あちゃー。
とりあえず、ニオブンってやっぱいいなぁ。
2008/9/8 咲良