向こう岸の物語(ツバサシリーズ物)


□捧げる祈りは誰が為に
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まだ陽の昇りきっていない早朝は、少し冷え込む空気が漂っていた。
しんと静まり返った空や大地とは裏腹に、慌ただしい足音が屋敷に響く。
バタバタバタ――。
ファイは庭に面した回廊を全速で走っていた。
頭の中で、つい数分前に聞いた会話がぐるぐると回る。
『おい、聞いたか?今回討伐の魔物は手強いらしいぞ』
『ああ、聞いた。何でも今までのとは数段力が上だとか』
『黒鋼様もいつになく厳しいお顔をされていたしな』
それは、偶然通った廊下で聞こえた忍者と世話役の会話だった。
ファイはぎゅっと両手を握りしめる。
目的の部屋まで辿り着くと、ファイは勢いよく障子扉を開けた。
「黒様っ!!」
開く音とともに叫ばれた自分の名前に、黒鋼はやや驚きながらも入ってきたファイを見やった。
肩を上下させ乱れた呼吸を繰り返すファイ。
その様子を見て、黒鋼は僅かに眉を顰めた。
「…んなに慌ててどうした?」
パチリと手甲をはめながら問いかける。
「…っ…ほんと、なの?……これから、討伐に行く…魔物がっ……強いって…」
乱れたままの呼吸を繰り返し、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「―――――…」
…ちっ!誰だ、こいつの耳に入れやがったのは。
黒鋼は心中で舌打ちをした。
確かに、今回討伐に向かう魔物は強い力を持っていた。
だからといって負けるとは微塵も思っていないが、今までの魔物より手こずるのは確かだ。
そんなことを聞けば、ファイの事だ。いらぬ心配をするに違いない。
そう思い、あえてファイに今回の討伐の事についての詳細は伝えずにいた。
「黒たん!」
何も言わない黒鋼に不安が増したのか、ファイは黒鋼の名を呼んで先を促した。
何を言って誤魔化そうとしたところできっと今のファイは納得しない。
そう思い、黒鋼はやれやれと溜息を吐いた。
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