□宣戦布告
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下弦の月が微笑みを僅かな光として零す。
夜の匂いが風に浮く。


ときどき恥じらうかのように、雲に隠れてしまう。
瞬く星々に遠慮などいらぬというのに。











さぁ、夜は私の時間。








月よ、照らしておくれ。
躓いてしまわぬように、
迷わず私のもとへ来れるように。




















「こんばんは、」




季節を無視して揺れる桜の大樹を前に、舞い散る花弁に紛れ消えてしまうのではないかと不安を覚える程の儚さを纏い、寝間着姿で彼は佇んでいた。



私の呼び掛けに、ゆっくりとこちらに振り返る。

濡れた瞳とまつげをそっと拭い、ふうわり微笑う。


まるで絵画のようだ。








「遙さん、」



「綺麗な夜だね」











私に僅かに会釈をしながら微笑う。
白磁の肌が、月明かりに鈍く照らされる。


モノに対し、執着、依存することのない静が離そうとしないわけだ。











「こんな夜中にここへ来るなんて…、どうかしたのかな」




ここというのは、つまり私の家の境内。
無駄に広く、幼い静がよくはぐれたと勘違いをしたものだ。
あの子はずっと私の傍にいたのに。


隠れては、幼いなりにも私を試していた。

私が静を見つけられない訳などないのに。











「いえ、別に…何も」






細い首を緩く振って否定の意を表した。


どうして君は、そうやって私にも、そして静にも隠そうとするのだろうか。

不安なら不安だと、怖いなら怖いと、叫べば良いのに、何故、己の中へ押し込めてしまうのだろうか。










「静に何か用かな」




「…いえ、」







「あの子なら今、現の世で眠っている君の横で、この世で比べようもないくらい綺麗なものを見ているよ」 





綺麗、そんな安い言葉で表現出来る筈もない、その顔にするりと触れる。

しっかりと色違いの目が私をうつすよう。






「君という名のね」









そう私が笑いながら付け加えると頬を少しだけ染めながらようやく、本当に微笑ってくれた。








「おれ、綺麗なんかじゃないですよ」





「当事者にしかわからないことがあるように、当事者ではわからないこともあるからね」











私が話していることをちゃんと聞いている姿を見て本当に愛おしく思えて、ありがとうございます。と言っている君を、抱き締めずにはいられなくなってしまった。 


勿論、申し訳ないとは思う。二人に対して。










「はる、かさ…、」



「抱え込んでいるのなら、吐き出してしまいたいのなら、言ってご覧」




「…おれ、別に、」


「溜め込むのは良くない。何においてもね」








「…、」







暫くの間、互いに沈黙が続き、さわさわと桜が囁き合う声しか聞こえなかった。時折、布越しにとくりと鼓動が伝わった。





やがて、私が一方的に彼を抱き締めている形であったものが、抱き合う形となっていた。


すがり付く、その腕を、いつかは離して、返してやらねばならぬと思うと惜しすぎる。








嗚呼でもいけないね。
この子は静の子だ。












「あのね、」



「…はい」






「私には、夜にこうして君を抱き締めて、話を聞いてあげることしかできない。でも、太陽が出ているときは、静がいる。だから大丈夫」





「はるか、さっ…」







「泣いてもいいんだよ」















必ず私が守ろう。


君の笑顔は静のものだ。


君の涙は私が隠そう。









桜が、月が、雲が、私が、
静が、





君を守るから。

大丈夫。君は消えたりしない。









未来は見える。

だが、変えられる。
















私の下にある小さな頭を昔静にしてやったように撫でてやると、嗚咽が少し小さくなった。












どのくらい、彼は私の中で泣いていただろうか。












「…さぁ、そろそろ静の元へ帰りなさい」










鼻と目元に朱を帯びて、彼は私からそっと離れ、頷いた。






「…遙さん、」




「何かな?」







「…ありがとうございました。本当に」




「君たちが幸せに笑っていてくれることが、私も嬉しい」












それじゃあ、と彼が私に背を向けて歩きだそうとしたときだった。




私は、彼の腕を掴み、




引き寄せて、再び腕の中へ連れて、







頬に接吻けてしまった。




















「は、はるかさ…!!」




「あ、ぁあすまない。静によろしく頼むよ」



















一際桜が風に舞い上がったとき、彼は花弁となって現世へ、戻った。















「…久々に、静と喧嘩でもしてみようかな」








誰もいない、世界に、私の零した言葉は聞き届けられることなく、月が呆れて雲に隠れたときに一緒に月が宵闇の優しい闇に連れていってしまった。


















次は孫視点。
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