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□胡蝶之夢
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「黒崎――……」

 海辺に佇んでいる車椅子に向かって俺は呼び掛けた。
すると車椅子から首だけがくるり、と此方を向き、淡い琥珀色の瞳が俺の姿を認識し三日月形に細くなった。口許もふわり、と笑みの形を描き出すのが見える。
 どうやら彼は喜んでいるらしい。

――でも、何に?

「冬獅郎」

 俺が首を傾げていたら、名前を呼ばれた。急ぎ俺は彼の許へ駆け寄る。

「戻ろう。余り長く居るとお前の身体に障る」

 言いながら、持って来たストールを彼の肩に掛けてやる。彼の身体を冷やさないよう。

「うん。でももう少し――…」

 黒崎は海を眺め呟いた。

「………解った。だが、後五分だけだ」

「ありがとな、冬獅郎」

 そして、俺もまた黒崎の隣で海を眺める。
 ざざ、ざざ、と音を立て、寄せては返す波。
 一体、これの何が良いのか俺にはさっぱり解らないが、黒崎は海を眺めるのが好きなようで、毎朝こうして海辺の散歩に出掛けている。そして何をするという事も無く、只管海を眺めるのだ。俺が迎えに来るまで。

 彼の名前は黒崎一護様。
 俺の主人(マスター)だ。そして俺は人間の為に造られた自動人形(オートマタ)。
 自動人形とは、或る科学者が発明した自身で考え動く人形で、その機能も用途も様々。そして全ての自動人形に共通するのは、一見して人間と見分けがつかないことである。
 この画期的な発明品が世間に発表されるや否や、爆発的な売れ行きを見せた。そして現在では一家に一台ならぬ、一人につき一台という時代であった。
 また、自動人形にもピンキリあって、下は搭載機能の少ない大量生産品から、様々な機能を備えた高性能な型。果ては――姿・容貌から性格に至るまで全て自分好みに造られる特注品(オートクチュール)まで。

 俺はその特注品――だった。

 だった、と過去形なのは一度返品されているからだ。注文した人間が俺を気に入らなくて、返品したらしい。主に性格の方面で。
 その性格だって注文通りであっただろうに、気に入らないなんて至極可笑しな話ではあるのだが、聞けば、どうもその人間の注文はもっと唯々諾々とした従順な性格だったんだそうだ。なのに、出来上がって来た人形は俺みたいなのだったという訳だ。所謂注文ミスによる不良品。それが俺。
 そんな訳で、返品されてしまった俺は店の倉庫の中で長い間眠っていた――ところを購入して下さったのが、現在の主人、黒崎様らしい。
 曖昧な言い方をするのは、以前の記憶は既に俺の中から消去されていて、俺が再起動した時にはもう主人は黒崎様に書き換えられていた為だ。だから今までの話は全て俺が他の――黒崎様からであったり、時々俺の点検にやって来る店の人間からであったりから聴いた話だ。
 ただ、そんな俺の識らない俺の話を聴く度に思うのは、主人が黒崎様で良かったという事だけであった。
 前の主人が、従順な性格の、しかも少年の自動人形に対して何をしようとするつもりであったのか、其れを考えると俺の思考回路は接続不良を起こしそうになる。自動人形を自分の性欲処理の対象として求める人間は、少なくない。
 その点、黒崎様は俺にそんな事をしようとはなさらなかった。だけれども、そんな黒崎様にも怪訝しな処はあった。

「五分経った。戻るぞ」

「ええー、もう少し……」

「駄目だ。これ以上は本当に身体に支障が出る」

「大丈夫だって」

「そう言って、この前熱を出して寝込んだだろ?」

「う………」

「ほら。家へ戻るぞ」

「解ったよ。冬獅郎がオレの願いを聞いてくれたら帰るから」

「…何だ?願いとは」

 黒崎の為の事なのに、俺が言う事を聞くなど酷く滑稽な話なのだが、俺が先を促せば、彼はにっこりと笑って、こう言うのだ。

「名前で呼んで」

「………………」

 其の一つが此れ、であった。
 何故か黒崎は俺に自分の事を名前で呼ばせたがった。否、名前だけでなく扱いそのものが、自分と対等若しくは其れ以上になることがある。
 まるで、俺が『人間』であるかの様に。
 此処は世間から大分隔離されている場所である為、俺もよくは識らないが、一般的に自動人形を人間とほぼ同格に扱う事は皆無である、らしい。黒崎はその稀な一人だ。
 俺のこの口調も、最初敬語にしていたものを、黒崎が嫌がった為に仕方なく変えている。だけど。名前だけは。黒崎の名前を呼ぶ事だけは、俺は頑なに拒んでいた。
 何故なのか、自分でも理解出来ていない。
 原因を考えようとすると、俺の記憶回路がオーバーヒートを起こしそうになるから。そして其の原因も不明だった。

「とーしろー」

催促するように黒崎が俺の名前を呼ぶ。そんな彼の声を無視して、俺は彼の背後に周り強引に車椅子を押し始めた。車椅子に座っている黒崎が僅かに身じろいだが、特に何も言わなかった。ただ俺に押されるがまま、海を眺めていた。
 そうして、俺たちは暫くの間海辺を歩く。ざざ、ざざ、という波の音ときーこ、きーこ、という車椅子の軋む音だけが響いていた。



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