@
□胡蝶之夢
4ページ/9ページ
彼の説明に主人である黒崎…は、難しい表情を浮かべた。
そんな表情を浮かべる理由も、そんな事を尋ねる理由も、俺には理解出来ない。自動人形に意思なんて必要有るのだろうか?
訊かれた男も少し驚いた表情で黒崎を見て、それからゆっくりと首を振った。横に。
『モチロン、有りません。必要ナイですから』
『そう、なのか……』
彼の言葉に主人は今度こそ沈んだ表情を見せた。視線を落とし、じ、と自身の足許を見詰める彼。
その彼の掌を俺は徐に取る。
『え?』
すると、主人は俺の行動に驚いたのかぴくり、と大きく身動ぎした。彼の脈拍が急激な上昇をみせる。過剰な反応に俺は、彼の顔を覗き込み小首を傾げた。
途端に真っ赤になる主人の顔。
……意味が判らない。
『う、浦原さん!』
焦ったような彼の顔と声音。
『ハイ。何でしょう?』
『こ、コレ、何?』
浦原、と呼ばれた俺の隣に居た男は主人と俺とを交互に見た後、ああ、と声を上げる。
『今、黒崎サンの指紋とあと掌の静脈をですね、読み取っているんスよ。暫くはそのままこの子の好きなようにさせたげて下サイ』
『いつ、いつまで?!』
尋ねる主人の脈拍も血圧も通常値よりも更に高くなっていた。
『黒崎様、脈拍・血圧共に高くなっておりますが、どこかお加減が悪いのですか?』
『だ、大丈夫だ。だから、早くこの手を離してくれ……』
『申し訳ございません。今は書き込み中の為、しばらくお待ち下さい』
『……………』
死にそう、と小さく呟かれた言葉を俺の耳が拾った。それは大変だ。
『……悪かった。設定中とはいえ主人の《命令》に逆らってしまって。申し訳ない』
それから俺は彼の手を離した。
『え?え?』
『初期設定が終わったんスよ。ですから、アナタの《命令》を聞いたんス。先程の敬語を使うなというのと手を離して欲しいというのと――…』
『ああ、そっか……でもさっきも訊いたけど、ソレってコイツの意思は無視されるんだよな?』
『ええ。といいいますか、この子に意思が有れば、ですが』
『そっか……』
そう呟いて、それからまた彼は視線を足許へと落とし、じ、と今度は何事か思惟し始めた。そして暫くして顔を上げると、俺の名前を呼んだ。
『なあ、冬獅郎』
俺の『名前』を。
『オレの《命令》を聞くのは厭か?』
彼の質問に俺はまた首を傾げた。そして考える。
『主人の仰っている事は正直、俺には理解出来ませんが……』
『うん?』
『俺は主人の自動人形で、自動人形は主人の《命令》を聞くのが存在理由ですから』
『…うん』
『《命令》を聞くのは厭ではないと思います』
『うん、そっか……』
俺の言葉に主人は天井を見上げ数回、そうか、と頷いてから、また視線を俺に戻した。そしてまた俺の名前を紡ぐ。
『なあ、冬獅郎。オレはお前のこと、ただの自動人形と思いたくないし、扱いたくない。だから、オレの《命令》が厭ならそう言って欲しいし、無理に聞かないで欲しい』
『………了解しました』
『うーん……出来れば敬語は止めて欲しいけど、でも厭なら仕方無いよな。そうやって少しずつゆっくり仲良くしていこうな。よろしく、冬獅郎』
『はい、宜しくお願いします…黒崎様』
俺に向かって差し出される手を取れば、主人はにっこりと笑ったのだった。
◇◇◇◇◇◇
その日は雨が降っていた。雨の日はいつも黒崎は食事を摂ろうとしない。
この日も俺が用意した食事に口を付けようともせず、只窓から外を眺めていた。
そんな彼の姿と眺めながら、俺は記憶回路から或る一つの映像を取り出す。
『……欲しくないんだ』
『お加減が悪いのですか?』
『違うよ、そうじゃなくて――雨が降っているから』
呟いて、彼は外を眺めた。俺も彼の視線を追って、外を眺める。確かに外では雨が窓を叩いていた。
『雨が降ると、食欲が無くなるのですか?』
『うん。オレね………冬獅郎』
――雨が嫌いなんだ
『嫌い、ですか』
『うん。雨は大切な人を連れて行っちゃうから……』
彼れは、何時の事だったろうか。俺が未だ黒崎に対して敬語を使っていたから、此処にきて間もない頃の筈だが。
――日時が判らない。
この事実に俺の回路は一瞬停止した。
俺の中には起動してからの記憶は全て俺の回路へ記録されている筈なのに。その日の出来事から天候に至るまで。
其れが判らないという事は、誰かが俺の記憶回路から記録を消去したのだろうか。否、しかし記憶全てというのなら兎も角、記録の一部、しかも日時の記録だけというのはちょっと考え難い。理由が無いからだ。
だとすれば、他に考えられるのは。
導き出された答えに、俺は思わず主人を見遣った。
もう一つの可能性。其れは――俺はもしかしたら何処か毀れているのかもしれない。
その答えが弾き出された瞬間、俺は最初に主人のことを考えた。
もし俺が毀れたら……彼は如何するのだろうか?また新しい自動人形を購入するのだろうか?
そんな疑問が俺の思考回路の中に漠然と残った。
――ピンポーン
と、その時。家の呼び鈴が訪問者の到来を報せた。
.