NOVEL2

□星の葬列
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「やっぱりいいね、この曲好き」


 俺の部屋で彼女――カエデは呟いた。
 この間買ったばかりの良質のスピーカーからは、静かなロックが響いている。ボーカルの声は何とも言いがたいもので、何回聴いても飽きない。でも何故だろう。どことなく寂しそうで気を緩めると涙が出てきそうになる。
 俺は涙腺を抑えるように目を見開いて堪えた。右隣を一瞥すると俺の雰囲気を感じてか、コイツの瞳も涙の膜で覆われていた。


「いいから聴いてみてよ!」


 と、この曲が収録されたCDを持ってきて、こうやってほぼ毎日二人で聴くようになったのはつい最近のこと。オーディオを購入した数日後に持ってきたのだ。しかし、特に音質がいいものがあるからという理由ではないみたいで、別の曲を聴くわけでもなくリピートの設定をして、何をするでもなく耳を傾ける。
 まったくこんなんじゃ、カエデのために買ったみたいじゃないか。けどそういうのも嫌じゃない俺がいて苦笑が漏れた。

 だけど、いい加減不思議に思って問いを投げかけた。


「お前、そんなにこのバンド好きだったか?」


 するときょとん、として瞬きを繰り返された。まるで俺が変なことを言ったかのような顔をするから、逸らすと同時に思わず手元にあったCDを取った。
 シングルではなく、アルバム。今から十年前に発売されたものだ。ジャケットには欧米の初老の男性が笑っていて、とても個性的で印象に残る。どうやら所謂ジャケ買いをして聴いていたら、この曲がお気に召したようなのだ。
 隣では手を口元にやって考えているカエデ。その動作が何とも可愛らしくて、俺は目を細めた。


「うーん。バンドも好きだけど、それ以上に曲が好き。一度でいいから生で聴きたいんだ」


 ふふっ、と笑みが溢れた。
 この笑顔がきっかけで俺はコイツを好きになった。わかっていたけど再認識だ。


「あ。大丈夫だよ、アンタも好きだからね!」

「ばーか。そんなこと心配してねーし」


CDがキュルキュルと鳴って、鼓膜を揺さぶるドラムから始まるイントロがもう一度流れてきた。
 ほんと? と俺の顔を覗き込んできたカエデの額を小突いた。
 それから笑い合うのに時間は要さなかった。

 俺はまどろむ雰囲気の中で、カエデの横顔を眺めた。
 長い髪を耳にかけるたびに、去年の誕生日にプレゼントしたビーズの指輪が輝いていた。
 確か、デートで街中のアーケードを歩いている最中に何か欲しいものはあるかと聞いたら、近くにあった露店へ小走りで近づき、これがいい! と、やっぱり太陽みたいな笑顔を見せて言ったんだ。







「お前そんなんでいいのか? もっといいの買ってやるのに」

「いいよ。かわいいし、綺麗だし」

「そうか?」

「いいんだってば! アンタがくれたものなら何だって嬉しいんだから」

「……っお前なあ」

「はは、照れてる?」

「黙ってろ!」


 顔赤くなってる! と腹を抱えながらけらけら笑っているカエデ。
 店主も苦笑いをしているし、恥ずかしくなって代金を素早く手渡して、カエデの細い手首を掴んだ。呆れて溜め息しかできないけど、まぁいいか。
 俺はカエデが楽しければそれで良くて、カエデの様子を隣で眺められれば満たされる。これが惚れた弱みってやつか。


「カエデ」

「んん?」

「それ、ずっとつけてろよ」


 しかし、偶然車道を猛スピードで走るビックスクーターの排気音が辺り一帯に響き渡った。


「え?」


 通り過ぎたあと、聞こえない、とカエデは小首を傾げた。
 ある意味ベストタイミングすぎるだろ……。俺は顔を歪めて、ぐしゃりと髪の毛を掻き上げた。


「ねえ、なんて言ったの?」

「あー……。言う気失せたから、また今度な」


 カエデは納得いかないという表情をしていたが、俺が歩みを進めたことでもう何も言わなかった。
 これからの時間はまだたくさんある。そう、思ったんだ。







「どうしたの? 眠い?」


 はっと息を呑む。目の前ではカエデが手をゆらゆらと泳がせていた。
 窓の外は今にも雨が降りそうな厚い雲が空を覆っていた。


「呆けてたけど、どこにトリップしてたの?」


 トリップって……。真顔でいうな真顔で。
 結構な時間を呆けていたのが、もう曲は終盤というところだった。
 俺は何も答えずにカエデの手を取り、指輪を撫でた。


「カエデ」

「何?」


 ああ、瞼が重い。言わなければ。あのときと同じ言の葉を、カエデに、言わなければいけないような気がした。今ここで。邪魔モノは、いない。
 でも、俺の中の悪魔(イド)が「もっとシチュエーションとか考えろよ」だの「これって要はプロポーズだろ、」だの「眠いんだったら寝ちまえ」と余計なことばかり言ってくるもんだから、ぐるぐる渦巻いた末に天使(スーパーエゴ)が出てくる間もなく、俺は本能に従うことにした。

 だって俺たちなら、これからもずっと二人でいられるはずだから。
 これからだってチャンスはいくらでもあるはずだから。

 視界に霞がかかっていく。カエデがぼやける。

 あの台詞はお前だけのためにあるから、そのときが来たら必ず言うから。
 指輪(それ)はチープで脆いけど、俺とお前を繋いでいる、鎖よりも強い繋がり、―――。
 俺の髪を撫でる温かい手。カエデのぬくもりに酔いながら、意識を手放した。



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