NOVEL3
□絡められたらもう逃げられない
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絡められたら
もう逃げられない
「ああ、もう!」
青道高校に入学してから早2ヶ月。
学校にも野球部にも慣れてきた栄純だったが、ただひとつだけ慣れないことがあった。彼はそれを苦手とし、でもそれは毎日しなければならないもので、していないと先輩からも先生からもいろいろ言われるもの。
5号室に設置してある小さな鏡を見ながら、焦りながら「あーでもないこーでもない」と手を動かしている栄純。
中学のときは学ランだったから、多少ブレザーというものに憧れがあったのだが、こんなんじゃ学ランのほうがマシだった!!
栄純が苦手としているもの、それは……
「うがあぁぁあぁ!!」
「うるせえ、沢村!!ネクタイごときでウダウダ言うな!!」
そう、ネクタイを結ぶことだった。
青道高校指定の紺色のネクタイは栄純の想像どおりにはいかず、ぐちゃぐちゃになるばかり。
何で蝶々結びになってんだよ!?と先輩である倉持に怒鳴られながら、毎日しょんぼりとしながら食堂に向かう。
もちろん首には皺くちゃになったネクタイがかけられていた。
栄純は自分なりに努力しているつもりだった。
入学して最初のころの何日かは、増子にも倉持にも教えてもらっていたのだ。それに教えてもらえばうまく結べた。だからこれからは1人でできる!と思っていた次の日。彼は期待を裏切らなかった。そう、結べなかったのだ。それを見て増子はあきれ、倉持はヒャハハ!と笑われた。
それから何日経っても結べない。むしろもっとひどくなる。先輩たちは面白がって、もう一度教えてくれない。毎朝努力はしているのに。
そこで見かねて結んでくれるようになったのが、栄純の恋人・御幸だった。
栄純がネクタイを結べない、ということを思いもしなかった御幸だった(結べない男がいることが想像できなかったのだ)が、倉持からその旨を聞かされ、爆笑したのは始めだけで、毎朝しっくはっくしながら格闘している栄純を見るたびにかわいさのほうが勝ってしまった。
そのまま放置しておくのも面白いかと思ったが、食堂に来て一番に自分のものに駆け寄り、涙目で呼んでくれることが嬉しくてたまらないのだった。ただ1つ文句を言うなれば、そんなかわいらしい栄純を他の男共に見られるのは腹が立った。しかし、しょうがない。この栄純を1人占めしているのは自分だけなのだ。
「……、御幸ぃ」
「おう」
食堂では、ガヤガヤと部員が集まって談笑しながら朝食をとっている。
朝練あとだから、ほとんどが制服を纏っていた。もちろんみんなきっちりとネクタイをつけていた。
御幸は持っていた箸をトレイにおいて、栄純においでと手招きをする。
このときばかりは素直に寄ってくる栄純と、そのネクタイに苦笑した。
部活んときも、こんな風に素直だといいんだけどね…。
「お前さあ、こんなになる前に俺のところに来たらいいじゃねえか」
「一応努力はしてえんだよ!」
座っていたイスをずらして、御幸の脚と脚の間に栄純を立たせた。
そっとネクタイに手を伸ばし、シュルシュルと器用に結んでいく御幸。
だが相対に栄純は、ひたすらその感覚に耐えていた。御幸の長い節のない指がときどき自分の顎や喉仏あたりを掠めていき、あの情事の、やわやわと触れるか触れないかぐらいの感覚で自分の肌を撫でていく、余裕に満ち溢れた御幸一也を思い出してしまうから。
しかし、どうあってもこのネクタイを結ぶという儀式にも近いものは止められない。
そのとき御幸の眼が細められた。
ふっと息を漏らし、こう言う。
「やっぱ、正面からだと結ぶのムズいな…。栄純」
「ん?」
「ちょっとココ座って?」
ココ。と指差されたのは、御幸の膝の上。
栄純の表情が固まる。ついでに御幸の肩越しにいた倉持の表情も固まっていた。いや、倉持だけではない。ひそかに2人の会話・行動を観察していた部員たちも、一瞬動きが止まってしまう。
まったくなにを言い出すのだ、この天才捕手は。
えーと、要するに「俺の膝の上に座れ」と?
「無理無理無理無理無理!!」
「無理じゃねえよ。お前のネクタイすんのは俺の役目なんだからー、な?」
な?じゃねえよ!!
栄純は周りの様子に気づいていないのか、顔を真っ赤にして金魚のように口をパクパクさせている。
「栄純」
「うう……」
年上の威厳なのか、それとも恋人というポジション故なのか。栄純は断固拒否できずに素直に御幸の膝の上に恐る恐る座る。
気をよくしたのは御幸で、栄純に自分の顔が見えないことをいいことに、不敵に口角をあげた。
栄純を後ろから抱き締める形で腕を伸ばし、ネクタイを取る。必然的に栄純は御幸に身を委ねることになり、端から見れば「なにしてんだコイツら」という状態だ。
むうっとしている栄純を尻目に御幸はニヤニヤとご機嫌な様子。鼻唄でも歌い出しそうなほどだ。
するとそこで栄純の腹の虫がぎゅるると大合唱した。当然だ。栄純はまだ朝食を食べてないし、目の前に(御幸の食べ掛けだが)美味しそうなご飯がある。
「なー御幸!」
「ん?」
「これ食っていい?」
「いいよ」
許しが出たので栄純の表情は華やいだ。
そんなことで笑顔になれてしまう栄純が子どもだが、御幸はそうやって栄純の機嫌を悪くしたり良くしたりするのが楽しいらしい。
栄純は御幸に箸でつまんだおかずを差し出した。
次の瞬間、様子を観察していた倉持が言った言葉に2人以外の部員は思わずうなずいた。
「砂ァ吐きそ……」
ようやく御幸が栄純のネクタイを結び終わるころには、ほとんどの部員が校舎へ行ってしまっていた。
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