HISTORY

□内務卿の逸楽
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「木戸先生」
書類を持って部屋に入ってきた大久保の言葉に、木戸は少し困ったように口元に笑みを浮かべて言った。
「……大久保さん」
「何ですか」
「先生なんて、付けて頂かなくても結構です」
木戸がそう言うと、大久保は少し黙った後、あぁ、と頷いた。
「そうですか、では先生は止めましょう」
「はい」
何時に無く簡単に承諾してくれた大久保に木戸はほっとしたが、直ぐに次の言葉に凍り付いた。
「では孝允、話の続きなんですが」
突然名前で呼び捨ててきた大久保に、木戸は慌てて、
「名前で呼べなんて一言も言っておりませんよ!?」
と言うが、
「良いではないですか。距離が縮まった感じで」
と大久保はしらっと答える。
「いや、縮めなくて良いです」
「私と貴方の仲ではないですか」
そう言いながら大久保はずいと木戸に迫る。
木戸は少し後ずさる。
「どんな仲ですか全く」
「一夜を共にする仲で……ぐはっ」
大久保の顎に木戸の拳がヒットする。
「黙りなさいっ」
真っ赤になりながら怒鳴る木戸に、大久保は顎を擦りながら滅多に見せない笑みを浮かべた。
「本当の事ではないですか、孝允?」
「ちょ、ちょっと」
ずいずいと迫ってくる大久保に木戸は身の危険を感じて逃げようとするが、運悪くソファに躓き倒れこんだ。
「おや、今日は積極的ですね」
「いや、違……あっ大久保さん、今夜は重要な会議が有りますよ」
会議を口実に逃げようとした木戸だが、
「そうですね、遅れないように行きましょう。二人で」
あっさりと躱されてしまう。
「ちょっと止めて下さ……ひゃっ……」
首筋をペロリと舐め上げられてあられもない声を上げてしまい、木戸の顔は真っ赤になった。
その木戸の様子に満足したように大久保は
「貴方も名前で呼んで下さって結構ですよ」
と言うが、
「誰が呼ぶものですかっ」
木戸は(怒りも含めて)真っ赤になりながらじたばたと暴れる。
「おやおや……素直ではない」
大久保の顔が何時もの無表情に変わった時、ガチャリと部屋の扉が開いた。
伊藤だ。
「木戸さん、これ――あ、お邪魔でしたか」
「俊輔!!」
「……」
伊藤は入って直ぐしまったという顔になり、木戸は天の助けとでもいうように笑顔になり、大久保は元々そうだった顔をさらに能面の様にした。
「いやぁ……中々美味しい菓子を見付けたので木戸さんにと思ったんですけどねぇ」
「本当かい?わざわざすまないね」
無邪気に喜ぶ木戸に笑い掛けながら伊藤は横目で大久保をちらりと見たが、大久保はあからさまに伊藤達から目線を離している。
大久保の機嫌を損ねてしまったと、伊藤は心中溜め息を吐いた。
「じゃあ、僕の用はこれだけですので失礼します」
大久保に気を使って伊藤はそそくさと部屋から出ようとするが、木戸に引き止められ叶わなかった。
「折角持って来てくれたんだ、一緒に食べよう」
「あ、そうですね……」
思わず苦笑いをする伊藤。
が、次の瞬間その口があんぐりと開かれた。
「あの……大久保、さんも如何ですか?」
「……は」
木戸の言葉に、大久保の目も少し見開かれる。
「お、お嫌でしたら別に良いです」
慌てて木戸はふいと顔を反らす。
大久保はそんな木戸に歩み寄り、木戸が抱えた菓子箱から菓子を一つ摘んだ。
「頂きます」
「はい」
にこりと木戸が笑い、伊藤は脅威は過ぎ去ったとほっと菓子を一齧りした。
が、その瞬間、
「やはり今日は随分と積極的ですね……孝允?」
「なっ……!?」
「……っ!?」
大久保の狙いすましたかのようなタイミングの言葉に木戸の顔は引きつり、伊藤は菓子を喉に詰まらせた。
「おや、大丈夫かね伊藤君」
「……大久保さん、貴方ねぇ……」
必死で菓子を飲み込み、酸欠に喘ぎながら非難の目を向ける。
「ほんの冗談ですよ、伊藤君。それに木戸さん」
「冗談になってません!」
呼び掛けられた木戸がヒステリック気味にそう叫び、勢い良く部屋から出て行った。
その様子を見て大久保は肩を竦めた。
「何処に行かれるのか……此処が御自分の部屋だというのに」
「はは……そうですねぇ」
明らかに木戸を玩具にして遊んでいる大久保の様子に、伊藤は乾いた笑いを洩らしたのだった。



その後、
「あぁどうしよう……」
部屋に戻るに戻れず半ば泣きそうになりながら右往左往する木戸の姿が目撃されたらしい。












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