HISTORY

□伊藤は見た
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「はぁ……」
伊藤は小さな溜め息を一つ吐いた。
木戸の部屋へ所用があって向かう途中なのだが、如何せん気が重い。
最近大久保に急接近している自分を、木戸が快く思っていない事を知っていた。
――あの人は、一度機嫌が悪くなると厄介だからな。
眼前で愚痴愚痴と言われるのはごめんだと、伊藤は扉の前に立って一息吐き、ノックをするため右腕を上げる。
と、
「御機嫌が悪いようですね」
部屋から木戸のものではない、妙に抑揚に欠ける声が聞こえてきた。
――大久保だ。
犬猿の仲の二人が、何を話すのだろう。
伊藤はこっそりと扉を小さく開けて中を覗き見た。
「……別に、そうでもないですよ」
「伊藤君、ですか」
「……」
大久保の言葉にぴくりと木戸が動いたのが伊藤にも分かった。
――あぁ、またこれで木戸さんの機嫌が悪くなった。
そう思いつつ齧り付くように隙間に目を近付ける。
「……その事ばかりではありません」
木戸が低い声でそう言い、大久保は少し眉を上げた。
「おや、では貴方を悩ませている他の事とは?」
「分かっておられるくせに、意地の悪い方だ。そんなだから私は貴方が嫌いなんです」
そう言って木戸は不貞腐れたような顔でソファに体を沈めた。
大久保がさっとその隣に座る。
「そうですね……少し意地が悪かったようです。寂しかったですか?」
そう言う大久保の口元には笑みが浮かんでおり、そんな表情の大久保を伊藤は初めて見た。
「……五月蝿い」
「そう怒らないで下さい。何時でも貴方が一番ですよ、私は」
そう言って大久保は木戸の頬に口付けを落とした。
「……貴方は本当に嘘吐き、ですね」
木戸はそう呟き、大久保に身体を預ける。
一方、そんな光景を目撃してしまった伊藤はよろよろと後退さった。
確かに今の政府の老夫婦的な存在であると誰かが言ってはいたが、本当にそういう関係だったとは。
伊藤はくるりと百八十度回転し、脱兎の如くその場から逃げ出した。
――じゃあ今まで木戸さんが僕に対して冷たかったのは、嫉妬の念も有った訳だ!
妙な汗が背中に流れるのを感じながら伊藤はその事に気が付いた。



夫婦喧嘩は犬も喰わない。
伊藤博文はこの事を以てそれを痛感する。












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