HISTORY

□攫搏
1ページ/1ページ

「……え?」
広沢真臣が暗殺された。
そう聞かされた時の木戸の顔、あれは演技などでは到底出来ない表情だった。



「……そんな、」
ふらりとよろめいた身体を私は抱き止めた。
「……どうして広沢さんが……」
カタカタと小刻みに木戸の身体が震える。
その顔は真っ青だった。
――まずい。
「木戸さん、落ち着きなさい」
肩を掴むと、
「……止めろっ!!」
凄い力で突き飛ばされた。
壁に叩きつけられながら頭の端で桂小五郎の力とはこんなものなのか、と妙に冷静に考える。
「ぁ……ごめんなさい……」
自分で突き飛ばしたくせに、今にも泣きそうな顔で木戸が私を助け起こした。
「いえ……、木戸さんこそ」
「私……私は大丈夫です」
青白い顔をして何を言うのか。
「……今日は早くお休みなさい」
木戸としても独りで居たいだろうと、私は部屋を出た。
まさか、次に木戸に会う時にあのような事態になっているとはその時には思いもしない。



「大変です、大久保さん!!」
扉が勢い良く開いたかと思うと、伊藤が慌ただしく入ってきた。
「どうした」
書類を捲る手を止め、顔を上げる。
「木戸さんが倒れてっ……!!」
「何っ……まさか持病が」
木戸は最近体調が思わしくないようだった。
それが悪化しようものなら、尚例の隠遁病も酷くなるというもの。
しかし、
「いえ……病というよりは、その……」
伊藤は瞬時躊躇った後、口を開いた。
「……心労らしいのです」
「心労?」
木戸が元より神経が敏感なのは十分に知っている。
だが、何故今の時期に。
仲間の死など、幾度となく経験したではないか。
「広沢さんがね、殺されたじゃないですか」
「しかし、それは暫らく前の話だ」
そうなんですけどね、と伊藤は言い辛そうに少し目を泳がせた後、言った。
「木戸さんが黒幕だって噂が流れてるんです」
静かな部屋に伊藤の声が響く。
一瞬、息が詰まった。
木戸が広沢を殺した?
そんな事、有る筈が無い。
木戸は殺生を嫌う。
あの動乱の時期、一人たりとも殺さなかった。
刀を抜く位なら「逃げる」という武士にとって最も恥ずべき行為をとった木戸が。
それ程甘い男が、しかも同郷の同志を殺すものか。
――くだらない噂だ。そんなものに、
ガタリと椅子を下げ、立ち上がる。
「大久保さん?」
「見舞いに行く。君は……分かっているね?」
伊藤に目を向けると、心得たように頷いた。
「噂については、僕がどうにかします」



「……すいません。このような姿で……」
「構いません、気になさらないで下さい」
木戸の擦れた声が状態の酷さを表している。
布団から出た手が妙に細い。
「貴方が見舞いに来てくれるなんて、思っていませんでした」
そう言って木戸は弱々しく笑った。
「何を言います。同僚が倒れれば見舞いに行くのは当然の事」
「同僚、ですか」
木戸の声の調子が沈み、静かに上半身を持ち上げる。
ぼおっとした木戸の目が私の顔を捉えた。
「大久保さん、貴方も聞いたんでしょう?」
「何を、ですか?」
「噂ですよ」
その言葉を発する乾いた唇は、何故か笑みの形に縁取られている。
「何の噂ですか」
「……しらばっくれるな。それを今日聞きに来たんだろう?」
憎々しげに木戸はそう言い捨てた。
だが、口角は弧を描いたままだ。
――この男、壊れかけている。
「……くだらない噂です」
「――何?」
私の言葉に木戸は怪訝そうに眉をひそめる。
「根も葉もない噂だと申し上げました。聞くに堪えません」
「本当に……そう思っていらっしゃるんですか……?」
信じられない、という風に木戸の声が震えていた。
「思っています。貴方、私がそのような話を信じるとでも?」
「いえ、そういう訳では……」
目を反らす木戸は、思っていたに違いないがそういう事にしておく。
「兎に角早く治して下さい。貴方が居ないと政府は始まりませんよ」
そう言って私は立ち上がった。
「大久保さん、……わざわざ有難う御座いました」
少しは落ち着いた様子の木戸に軽く会釈をして、退出する。
待たせておいた馬車に乗り込み、木戸の弱った姿を思い出しステッキを握り締めた。
――噂などに、木戸を奪わせはしない。
あの男は政府には必要なのだ。
「離しはしない」
呟いた声は、馬車が走る雑音に掻き消された。












[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ