黎明の魔術師

□東の京中心部 国立魔術学研究所
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仮初の名前 2


 吐水に報告を終え、瞑葬は彼と咎詠を残して、癒音と共に部屋を出た。

「ねえ、癒音……?」

「なんでしょう、瞑葬さま」

「……私には、永遠に魔術を使いこなすことは出来ないのかしら」

「っ……」

 急に問われた癒音は、言葉を詰まらせた。

 こればかりは、肯定の言葉は出ない。なぜなら魔術は、個人の努力云々でどうなるものでもないのだ。生まれつきの能力の差。これは、どう足掻いても埋められない。


 瞑葬は、腕利きの魔術師の娘でありながら、残念ながら出生時の第五元素適応検査で芳しくない適応値を残している。その検査の結果は一生変わることはなく、不合格となった者は、その生涯において魔術学校に通う事はおろか、魔術を独学で学ぶことさえも許されない。そんな瞑葬が魔研に所属できているのは、彼女が剣術に長けている以外に、腕利きの魔術師である母や、兄姉の後ろ盾があったからであった。

 癒音や彼女の弟は当然、適応検査でかなりの数値を残している。

 その数値は、少なからず生まれた家系に左右されると言われる。徳の高い家系では、高い適合率を持った子供が生まれて来る確立が上がるという。瞑葬も、決して下流家庭に生まれたわけではない。むしろ、その家庭は上流と言っても過言ではない。現に、瞑葬の母や兄、姉や妹も、かつては腕利きの魔術師として名を馳せた。瞑葬のみが例外的に、適応検査に合格できなかっただけなのだ。

 しかし癒音やその弟の家系はその遥か上を行く。この事実は、魔研の一部の上層部しか知らない、魔研一のトップシークレットである。その家系がどこであるかは、恐らく吐水と、当事者の姉弟しか知らない。魔研上層部も、「超上層階級」である事しか、知らされていないのだ。無論、瞑葬もその一人である。


「癒音や静波みたいな超上層階級って呼ばれる家系くらいだと、私みたいな出来損ないは生まれないのかしらね」

 ハア、と小さく溜息をついて、歩みを止める瞑葬。

「瞑葬さま……」

 掛ける言葉に悩む癒音。そこに、


「姉上……と、瞑葬さま」

 廊下の扉が開いて、癒音の双子の弟、静波が出て来た。

「静波……」

 癒音は彼に、指で静かに、と合図を出して、部屋の中に押し込める。そうして自身もその部屋に入りつつ、瞑葬に軽く頭を下げた。

「瞑葬さま、元気を出してくださいませ。きっとそれは関係ございませんわ。……では、私はこれで失礼させて頂きます」

「あれ、もう部屋……?」


 瞑葬はばいばい、と手を振って二人に別れを告げ、ここ二階の三個上の階……つまり五階にある自室を目指す。

 上の階に行くには、階段か、移動魔術の施された部屋を利用する必要がある。魔術を使っての移動は、一瞬で目的の部屋へと移動できる反面、多少の危険が伴う。魔術は有能ではあるが、万能ではないのだ。いつ事故が起こるかは分からない。ましてや瞑葬は第五元素との適応率が極めて低い。他の魔研の研究員は殆どが高い適合率を持っているので大体は魔術を使って楽に移動するのだが、適合率の低い瞑葬は他の研究員に比べ事故に会う確立が高くなる。魔研に来てすぐの頃に、一度事故で遭難して以来、彼女は死ぬほど疲れているか、他の誰かと一緒に居るとき以外は部屋を使わなくなっていた。当然、今日も階段を利用して上の階へと向かう。

 普段階段で、他の人と会うことは殆ど無い。だから今日も当然、誰も居ないと思っていた。

 しかし。


「あの……」

 数段昇って後、正面に人影をみとめた。どうやら人影は瞑葬の外見年齢と大して歳の変わらない少年らしい。

 初めて見る顔だ。新しく入った研究員だろうか。

「何?」

「すみません、ここから吐水所長の部屋に行くには、どこに行けばいいでしょうか」

 流暢なのにどこか違和感を覚える発音の日本語だった。

 数秒して瞑葬の前に姿を現した彼は、美しい金髪と碧眼の持ち主だった。一目で日本人ではないと分かる。

「……、あ、吐水の部屋ですね、一緒に行くわ」

 一瞬、その姿に見入るが、すぐに彼の質問に応じる。

「すみません」

 彼は軽く頭を下げた。

 吐水の部屋は一階の奥にある。そこに瞑葬の部屋とは正反対にあるが、困っている人を放ってもいけないので、彼女は彼を案内する。


「……僕は、英国から日本に留学に来ました」

「そうなの」

 ああ、だからこの建物に疎いのか、と思いながら瞑葬は彼の言葉を受け流す。

「名前は、アレックスといいます。皆、アレクと呼ぶので、そう呼んで下さい。その……貴女のお名前は」

 アレックス、と名乗った彼は言った。

「私は瞑葬よ。難しいかしら、目を瞑るの瞑と、葬儀の葬よ」

「ミス瞑葬……?」

「瞑葬で構わないわ。皆そう呼ぶの」

 階段の最後の一段を下りながら、瞑葬は言った。


「……違うと、思うのは僕だけですか?」

「……は?」

 廊下を歩き始める瞑葬の背を見つめながら、アレックスは呟いた。最後の一段を降りようとせず、ただ立っている。

「瞑葬は、本当の名ではないですよね」

「……関係ないわ。大体、この建物内で本名を明かしている人間の方が少ないもの」

 一瞬歩を止めた瞑葬は、それだけ言うと再び歩き始めた。しかし、アレックスのほうはその場を動こうとはしない。


「仮初の……名前。日本の人は、皆、仮初の名前です。自分自身もそうだと、吐水所長は言いました」

「吐水……」

 全く余計な事を、と瞑葬は思う。普通の人間ならば別に、本名を明かしたところで何というわけは無いだろう。

 アレックスの言うところの仮初の名前とは、魔術を補佐するいわば、魔術を使う為の専用の名前であるだけで、本名を隠すことにそれ以上の意味は無い。しかし瞑葬たちは本来、もう死んでいる人間である。詳しい原理は聞いていないが、数代前の魔研所長曰く世界のバランスを保つ為にも、彼女達は本名を隠さなくてはいけないのだという。

 だからここ百年、瞑葬の名前は瞑葬であった。下手をしたら、自分でも本名を忘れてしまいそうになるくらいの長い間、彼女は瞑葬以外の何者でもなかったのだ。

 それがいきなり仮初の名前だと言われても、瞑葬には今更名乗る名前は無いのだ。


 しかし瞑葬は、無意識に呟いていた。


「……五月よ」


 と。

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